第564号(2000年3月1日号)


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特別インタビュー・トップクォークを発見したイェー博士(フェルミ研究所)

 フェルミ研究所の主任研究員でトップクォークを発見したGPイェー博士(写真)にインタビューした。イェー氏は台湾出身で沖縄のキングススクールを卒業後、MITに入学、高エネルギー物理学の最先端研究を行っているフェルミ研究所に入った。究極の粒子として六種類のクォークの存在が予想されており、最後まで未発見だったトップを九五年に初めて見つけた。それまで五種類のクォーク発見者がノーベル賞を受けており、イェー博士の成果は間違いなくノーベル賞級だ。(渡久地明)

 「実験はフェルミ研究所の円周六キロの加速器(写真。円周を超伝導コイルで巻き、真空度は十のマイナス十三乗トールを実現)で陽子と反陽子を加速し、衝突させるというものだ。この衝突で、クォークが発生する。トップクォークのライフタイムは十のマイナス二十四乗秒だ。これはインサイドプロトンの動きだ。もっと大きな加速器を筑波で建設する計画がある。これが完成すれば湯川カプリングの実験が出来るよ。エネルギーからどうやって『もの』が出来るかを解き明かす実験になる」

 「トップクォークを見つける実験は例えば一秒に一回の衝突では百万年かかるような実験になる。そこで一秒に十億回の衝突を繰り返すが、これの分析にはどうしてもスパコンが必要だ。しかし、スパコンは高いからPCを千台つないでスパコン以上の能力を発揮させる方法を発明した」

 「OSはリーナックスを使う。リーナックスはユニックスを改造して無料で公開されている。フェルミ研究所がこれを使いだしたのでIBMなども注目し、リーナックスが世界中でブームになった。ぼくもリーナックスの開発者の一人で、個人的にもサンのマシンにリーナックスを入れて使ってる。リーナックスの利点は信頼性、オープンソース、ユニックスに近くいままでのアプリケーションは三カ月あれば書き直せること。最後にぼくがリーナックスを選んだことだ」

 「ぼくは四歳の頃から数学の勉強が好きで、毎日夜中まで数学をやっていた。いまでも夜中の三時半頃まで起きて仕事をしているが、その習慣は四歳から続いているものだ」

 「台湾の中学に進んだらいまのぼくはなかったかも知れない。父が沖縄と台湾を行ったり来たりして仕事をしていたのでアメリカンスクールに入りたいと三年越しで頼み込んだ。そこでは、日本や台湾とは全く違う授業が行われ、生徒の個性を伸ばした。日本語は沖縄で覚えた。沖縄に友達はたくさんいるよ」

 「沖縄の学校を出るとMITに入学した。MITは学生が四千人、研究者が二千人という体制で『考える』ということを徹底的に教える大学だ。この教え方は世界の最先端だ。MITには十年いたよ」

 「成績? 入学した頃は数学は出来たが、その他は英語も含めて後ろの方だった。覚えるという学問は全くだめだね」

bb理論を考えるときには複雑な数学が頭の中に浮かんでいるんですか。

 「ぼくは最初は紙と鉛筆だよ。しかし簡単な数学は使う。簡単な数学じゃないとホンモノじゃない。これはフェルミ先生が言っている言葉だ。ぼくは紙一枚で間に合う数学を使う。でも、理論は合ってるか合ってないか分からないよ」

bbアハハ。実験の方が面白いと。沖縄と台湾、フェルミ研究所をつなぐ仕組みが出来ませんか。

 「ぼくのところに沖縄の学生をおくってごらん。世界最先端のクォークの専門家になるよ。ぼくが教えるからだ。考えることを教える。

 沖縄で加速器をつくれば世界中の研究者が集まるよ。これはやる気があれば二年で出来る。政府の力を借りなくても出来る。リーナックスやPCをつないだ技術なども提供できる。

 沖縄は第二の故郷だと思っているので何か出来ることがあればお手伝いしたい。渡久地さんフェルミ研究所においで。ぼくが案内するよ」。

 イェー博士が沖縄の学校を出たのは復帰前で、面白い学生がいるとジミーの稲嶺盛保会長が支援した。社長の稲嶺盛一郎さんはそのころからの親友でこのほどイェー氏を囲む席を設けた。


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