沖縄タイムスの記事


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忘れ得ぬあの取材 渡久地政夫さん

■アイク訪沖 米人随行記者らの動き追う

 琉球新報に入社したのは一九六〇年ごろ。五三年に社長に就任した親泊政博さんに誘われた。彼と私の父政憑(三紙統合後の沖縄新報編集局長)とは戦前、沖縄日報で業務局長と編集局長という仲。戦争中、私たち家族は宮崎に疎開。父が亡くなった後、福岡に呼び寄せて親代わりになってくれたのが『沖縄新民報』を出していた親泊さん。

 親泊さんの勧めで沖縄新民報から『フクニチ』に入社。その後、帰郷して琉球新報に。ちょうどそのころアイゼンハワー米大統領が来沖した。嘉手納基地に到着した大統領の取材に英語ペラペラの外間正四郎記者と一緒に行った。そこで私が見たのは随行取材で来た大勢の米人記者たち。彼らは飛行機から降りるとすぐにタイプライターを取り出し、たたき始めた。アメリカの記者はすごいなあ。進んでいると思った。私はその模様を記事にした。それが琉球新報での私の最初の記事ではなかったか。

 コザ支局長をしたのは六三年から六四年にかけ一年十カ月ほど。親泊さんから「コザはタイムスに七対三で負けている。お前が行ってばん回してくれ」と言われた。ある日、管内を車で走っていると、人が大勢集まって、ワーワーいっているところがある。「あれは何だ」と聞くと、「闘牛だ」と言う。結果は翌日の小さな新聞広告で知るというんで、これを紙面で扱ったらと考え、特集を組んだ。スポンサーもつき、部数も増えた。それが闘牛ブームの始まりになった。(談)
(沖縄観光速報社社長、元琉球新報社会部長)

(沖縄タイムス50周年紙面企画「人物列伝 沖縄 戦後新聞の足跡(57)」の記事の一部です。)


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