連載コラム視点631
渡久地明(沖縄観光速報社)


沖縄観光の戦略は

 那覇空港の沖合滑走路展開を考えるシンポジウムがあった。この中で国交省の担当者は、「那覇空港の着陸料を軽減しているが、これは空港整備特別会計の収入から拠出しているもので、本則に戻した上で拡張を議論すべきではないか」「季節波動、一日の時間変動を平準化すればまだまだ受け入れ能力はある」「拡張するには誰もが納得できる理屈を沖縄県がつくるべき」などと述べている。

 これに対して、都市開発プロデューサーで東大客員教授の梅澤忠雄さんが「過去のトレンドに不況だからといっておそるおそる勢いのゆるい直線を引いて六百五十万人というような目標を立てるようではだめだ。沖縄は千万人とか千五百万人という目標を戦略的にたて、緻密な計画に基づいて実現すべきだ」と力強く主張したのは印象に残った。

 実はトレンドを正確に伸ばすと二〇一一年には八百万人という線が出てくることを本紙では何度も述べた。そして二〇一六年頃には千万人に届くのである。

 それを阻害する要因として那覇空港の能力の問題があり、これを解決すべきであると本紙は主張してきた。しかし、これは事の入口にすぎない。一つのボトルネックを解消するだけで実際には梅澤さんがいうように緻密な計画が必要になるのである。

 そこで梅澤さんはいつもラスベガスの観光開発のものすごさを強調するわけだが、このことはもっと強調されても良い。

 沖縄が日本に復帰した一九七二年、ラスベガスを擁するクラーク郡の人口はわずか三十万人だった。一九八〇年は四十六万人であるが、一九八九年に二〇〇〇年計画をつくる。九〇年の人口は七十七万人まで拡大していた。そして二〇〇〇年の人口は百四十三万人と二倍に拡大、観光客数は九〇年の二千万人が〇〇年には三千六百万人まで拡大したのである。その後の予想では二〇三〇年のクラーク郡の人口は二百六十万人まで拡大するのである。

 戦略さえ大胆に持てばこのようにものすごい成長を地域はとげるのである。しかし、振り返ると沖縄県だって過去三十年間にわたって沖縄振興計画を実行してきたのであり、同じような効果が出ていてもおかしくないはずである…、ということに気がつくわけである。

 計画そのものが小さすぎたのではないか。あるいは大きなものを作れない何らかの制限があったのではないか。

 国土交通省のお役人の説明を聞いていると、そう思えてならないのである。

 「景気は今後十年たっても回復しないから十年後の観光客数は六百万人程度にしかならない」

 これは別の政府のお役人の沖縄県の観光審議会で数値目標を決めようと言うときのものである。景気を良くするのが政府の仕事であるのに、景気は回復しないから観光計画もちょぼちょぼでいいといっているのである。国全体でこういう調子であるから、日本中の企業も収益は減り、不況のあり地獄から抜けられない状態になっているのだ。

 これを脱するには大規模な財政政策しかない。それによって、景気は回復し、企業の収益が上がり、税収が増えて国の借金は減るという循環を人間の手でコントロールすべきなのである。それができるというコンピュータシミュレーションも出ている。不況は今年で終わりにしなければ、国民はどんどん貧しくなるばかりである。(明)(「観光とけいざい」第631号03年3月15日号)

 


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