連載コラム視点724
渡久地明(沖縄観光速報社)


琉球諸島の2009年問題

 沖縄には二〇〇九年問題というのがある。二〇〇九年問題とは、一六〇九年から四百年目ということで、一六〇九年とは薩摩が琉球に侵攻した年である。

 ネット上の辞書ウィキペディアには「薩摩」の項に琉球侵攻について次の記述がある。

 「一六〇九年(慶長十四年)、琉球に出兵して琉球王朝を服属させ、琉球の石高十二万石を加えられた。奄美諸島は沖縄と分離され、薩摩藩が直接支配した。薩摩藩の琉球支配は、年貢よりもむしろ琉球王朝を窓口にした中国との貿易が利益をもたらした。また、薩摩には奄美産の砂糖による利益がもたらされた。その他加増を受けて七十七万石の大藩となる」。

 この薩摩の琉球侵攻というのは現代の沖縄でもよく話題になる。同じことが奄美諸島の人たちの間でも話題になる。さまざまな問題を含んでいると思うが、明治維新で薩摩が有利なポジションをとったのは琉球のサトウキビや外国貿易で得られた利益がその原動力となったというものだ。ペリー提督の黒船が来たのも琉球を足がかりにしており、その時の詳細な情報が琉球から薩摩経由で江戸にも伝えられる。

 外に開かれた琉球の情報力も明治維新を導いた薩摩に有利に作用した。琉球のおかげで明治維新は実現したということになるわけ だ。

 それがどうした、という声が聞こえてきそうだが、それをどうにかしようではないかということが、二〇〇九年問題には含まれて いる。

 与論島から種子島の手前までの奄美諸島の人たちの中には鹿児島県でいるより、琉球になった方が発展するのではないかとの見方がある。

 一方、沖縄県よりも琉球の方が東南アジアにとってなじみが深いという事実もある。

 日章旗はもともと琉球の国旗だったのを日本が借用して、いつのまにか日本の国旗になった。

 ウィキペディアの「日章旗」の項には「船印としては、薩摩藩に服属していた琉球王国が中国への進貢船に日章旗を用いており、江戸時代後期からは薩摩藩の船印としても用いられるようになった。開国後は幕府が日本国共通の船舶旗(船印)を制定する必要が生じたときに、薩摩藩からの進言(進言したのは薩摩藩主、島津斉彬だといわれる)で日章旗を用いることになった。一般的に日本を象徴する旗として公式に用いられるようになったのはこれが最初であるとされる(略)」。

 もっと遡ると、三万八千年前という古い人の骨は日本では沖縄だけから出ている。沖縄人が日本人の源流であったという学説は有力である。

 沖縄というのはいまは日本の一県ということだが、たったの四百年くらい前には東南アジアの有力な国家として繁栄していたことが、世界に知られている。四百年前の出来事にキリがいいのでケリを付けようというのが二〇〇九年問題ではないかと思う。(明)(2007年6月15日号掲載)


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