連載コラム視点787ワイド版
渡久地明(沖縄観光速報社)


4・25県民大会への二つの問題提起

 普天間基地問題は県外移設に向けて大きく流れが変わった。普天間飛行場の危険性を除去するために、新たに辺野古沿岸にV字型滑走路と港湾を建設する現行案が提案されたのは二〇〇六年の沖縄基地の再編協議の結果だった。辺野古の建設とパッケージで海兵隊は主力をグアムに退け、嘉手納以南の米軍基地は日本側に返還されることとなった。〇六年十一月に当選した沖縄県の仲井眞知事は、辺野古の新基地を、沖合いへ数百m出す修正を条件に建設を容認。しかし、海兵隊の県外移設を約束した鳩山民主党が〇九年夏の総選挙で政権をとり、沖縄とアメリカとの間でサンドイッチになると迷走が始まった。いったん沖縄で県外移設を約束した首相の元で、県内世論はもはや辺野古の現行案はもちろん、修正案にさえも戻れない情勢となっている。この問題は基地の移設先を巡る議論が中心のように見えるが、もう少し幅を広げた議論が必要だ。ここでは普天間基地の役割そのものの変容と日本の経済状況に関わる問題の二つを改めて提起する。(本紙編集長・渡久地明)

■辺野古基地の役割の変更‐グアムの第2基地との位置づけ

 普天間基地の役割につい振り返る。もともと沖縄の海兵隊は朝鮮半島有事に備えた軍隊だった。このため、北朝鮮問題が解決すれば沖縄海兵隊は不要になるという前提があった。その証拠が九六年のSACO合意で提案された辺野古の沖合いに撤去可能な海上基地をつくるというものだった。

 本紙が九九年暮れにインタビューした知日派のアーミテージ氏(後に国務副長官)は「沖縄基地に長居はしない。アジアが安定したら出ていく」と述べたものだ。このときまで確かに米海兵隊は北朝鮮問題の解決後は撤退する予定だったと見られる。

 ところが、SACO合意が進展せず、〇六年に辺野古沿岸埋立案で日米が合意する。辺野古に那覇軍港の機能などを集積して、嘉手納以南の米軍基地を返還する、さらに海兵隊の主力はグアム基地を強化し、移転するというものとなった。ここで、海兵隊をグアムに移転するなら辺野古に新たな基地をつくる必要はないのではないかという疑問が生じる。グアムへの全面移転、普天間基地の無条件返還論が浮上する。

 なぜ、海兵隊がグアムへ移転するのに辺野古に新基地が必要なのか。その疑問に対して、軍事評論家の神浦元彰さんは普天間基地の移設先となる辺野古の新基地の意味が〇九年の春先から変質したと見ている。神浦氏は明快にこたえる。「〇九年の夏、グアムでセスナに乗って全体を見た。すると兵員を受け入れる施設をつくることはできるが、訓練場が狭いなどの問題があることが分かった」という。さらにグアムは十年に一度くらいの割合で大型の台風や地震などに襲われている。その間の基地機能を受け持つのが辺野古の新基地であり、グアム基地の第二基地としての辺野古の活用案が新たに米軍に浮上した、という。キーワードは新基地の一体的運用だ。

 その際、辺野古はSACO合意のときのような将来撤去可能な基地ではなく、恒久基地となる。キャンプシュワブも辺野古弾薬庫も返還はなくなる。このときの海兵隊は北朝鮮問題に対するのではなく、新たに嘉手納飛行場を守る役割が大きくクローズアップされる。逆に言うと、辺野古にノーということでキャンプシュワブや辺野古弾薬庫、北部訓練場も返還を勝ち取ることが可能だ。

 この間の米軍の方針変更は極めて重大である。沖縄基地に長居をすると表明したのと同じである。辺野古をいつでも自由に使える基地として今後も確保し続けるという意味である。その代わりに、日本を守ってやるという側面が改めて明らかになった。それが日本側にちゃんと伝えられていないのではないか。それとも隠しているのか。

 グアムのバックアップ基地とすることで、沖縄基地の価値はますます高まっているように見える。解決策はあるのか。  神浦氏は「グアムの第二基地の役割をハワイに持たせることで解決可能」と見る。

■経済発展に基地はじゃま‐再開発が成功している

 一方、沖縄基地の価値の高まりで、もう一つ浮上してくるのは経済問題である。沖縄基地問題は鳩山内閣の責任問題にまで発展し、内閣の存亡が問われる。仮に普天間基地の継続使用や辺野古の現行案で決着を図ることになれば、仲井眞知事がいうように県民の不公平感は一層高まるだろう。

 現状で沖縄の県民所得は全国最低、企業の儲けも含む一人当たり県民所得は二百万円をわずかに超える程度にすぎない。東京に比べてわずか四〇%、全県平均に比べ六七%である。失業率はここ何年も八%前後の横這いである。米軍基地の存在は経済成長にマイナスの影響でしかなかったということになるのではないか。これを底上げするには基地の返還後、大規模な再開発が必要になる。所得格差の問題は一九七二年の沖縄の日本復帰の時点で明らかだったが、これまでの政府投資で状況を好転させることができなかった。投資が少なすぎたからだが、その妨げになったのが米軍基地の存在だった可能性が高い。

 返還軍用地は再開発によって、目覚ましく地域経済に貢献している。沖縄県がまとめた「駐留軍用地跡地利用に伴う経済波及効果等検討調査報告書(概要版)」(〇七年三月、野村総合研究所(代表企業)と都市科学政策研究所の共同企業体への委託事業)で、那覇市の新都心・おもろまちや普天間基地の再開発による経済効果が推計されている。

 おもろまちは返還前は牧港住宅地として、米軍が使用していた。このときの生産誘発額は日本人の基地関連所得二九・二億円、基地関連消費支出一五・八億円など年間五四・八億円だった。

 牧港住宅地は八七年に返還され、九二年に土地区画整理事業が始まり、那覇新都心地区=おもろまち(二百十四ヘクタール)として生まれ変わった。土地区画整理事業の施行地区内人口は、事業開始時点では約千十人だったが、〇六年三月現在では一万四千八百三十七人人(那覇市人口の四・八%)と十五倍に拡大した。地区内の商業・サービス活動も〇〇年以降活発化しており、〇二年(一部、〇一年の数値を利用)で年間六百八億円の販売額を生み出している。

 おもろまちはその後モノレールの開通(〇三年)など開発が続いており、経済効果も拡大している。  区画整理が始まってからの公的な事業費と民間の設備投資額、できあがった施設での商業活動による経済効果から、二〇一三年までの年間平均の経済効果(生産誘発額)を算出すると毎年八七四・二億円となり、返還前の約一六倍になる見込みだ。また、推計最終年の一三年の生産誘発額は二〇八二億円まで拡大する見込みだ。

 小禄金城地区も返還前の生産誘発効果二九・〇億円に対し、〇二年の生産誘発額は九〇〇億円弱となった。桑江地区+北前地区は返還前の二・九億円から、〇二年には五九七億円になった。

 また、普天間飛行場と同時に、キャンプ桑江(南側)、キャンプ瑞慶覧、牧港補給地区、那覇港湾施設がすべて返還され、おもろまち並みの再開発が行われるなら、整備に関わる生産誘発効果は一・七兆円、企業立地による生産誘発額は年間九千百億円規模になると試算している。

 これら基地の返還により、年間平均一兆円規模の供給が新たに生まれることになり、これを埋めるための県内経済の拡大が必要となる。

 その需要をカバーする有力な産業が観光産業となるだろう。もし、観光産業だけで年間一兆円弱の需要を新たに生み出すには現状の観光客六百万人、観光収入約四千三百億円をベースにすると、二千万人弱が必要となる計算だ。時期は二〇一六年に観光客一千万人を達成し、同じ伸び率がその後も続くとして二〇三二年頃になる。

■衰退する日本が懸念材料‐早く経済を立て直せ

 ここで懸念材料となるのは日本のデフレ不況である。日本はこの十数年で世界中と比較して著しく衰退した。まともな経済政策が実行されていれば、今ごろ国民の平均年収は現状の二倍まで拡大していたはずだ(物価も上がるが、二倍以下に抑えることができただろう)。世界各国の一人当たりGDPは九五年から〇七年までの十二年間で一・九二倍の伸びを実現しており、日本にできないはずはなかった。

 しかし、事実は日本の一人当たりGDPは〇・八二倍に縮小したのだった。先進国で一人当たりGDPが縮小したのは日本だけである(図・上)。

 日本の経済成長を今度は県別に見ると、一人当たり県民所得は〇六年から〇五年の十年で〇・九五倍に縮小した。地域別で伸びらしい伸びを見せたの東京のみで、一・一二倍と、ごくわずかだった。一人当たり県民所得最下位の沖縄は十年で所得をさらに減らした(図・下)。これだけの基地負担があって県民所得が全国最低とは何事かとということだ。東京の上に出すべきである。

 このような世界にもまれに見る経済の衰退を出来させた政治の責任は大きい。政府自身が歳出を削減することだけに躍起になり、国民はますます消費を控えるというデフレ不況が継続している。

 デフレ脱却には世界の経済学者が提案しているように、大規模な積極財政と金融政策の組合せが有効である。リーマンショックからいち早く抜け出そうとしているアメリカヤ中国、ヨーロッパの国々を見習うべきだ。アメリカや中国は日本のデフレ不況を詳細に分析しており、反面教師として「日本のようになりたくない」と大規模な景気対策を打ったのである。

 本紙は沖縄観光は二〇一六年頃の目標一千万人の達成は当たり前で、二千万人以上も可能であると推計しているが、国民がどんどん貧乏になると一千万人達成は目標より後にずれることになる。

 小さすぎて遅すぎる経済政策が継続し、デフレ不況から脱却できないままなら、沖縄基地問題の解決もますます難しくなる。返還軍用地の再開発が始まったとしても、政府は予算をケチるだろう。ショボい開発になり、魅力がなければ再開発後の土地は空き家だらけになり、沖縄経済は一層ガタガタになる。

 沖縄経済を活性化するにはこれまでの投資は少なすぎたのだ。投資ができない理由は九〇年代半ばまでは基地がじゃまだった可能性が高い。九〇年代後半以降はそれに加え、政府の緊縮財政でますます沖縄への公共事業を縮小させることになった。政治家は発想がますます貧困になり、事業仕分けなどにかまけている。しかし、困難と思える沖縄基地問題の解決策、デフレ脱却策もすでにある。これらを一刻も早く実行する政府が必要である。 (2010年4月15日号掲載、特別編集のため発行日は4月28日)


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