沖縄観光成長の法則2006

(観光情報学会誌「観光と情報」第2巻、1号(06年6月)収録の寄稿原稿。「観光とけいざい」
第705号(06年8月1日)に転載。PDF公開06年8月16日、html公開08年05月10日)

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沖縄観光成長の法則2006

観光情報学会誌『観光と情報』(06年6月、寄稿)より、同学会の許可を得て転載
沖縄観光速報社・渡久地明

あらまし

 沖縄への観光客数[1]は2005年は550万人に遠し、日本復帰の1972年の44万人から現在まで長期的に見ると、海洋博前後の一時期を除いて毎年平均4.5%前後という成長率で成長し、指数関数的な伸びを示している。観光産業がキレイな成長を持続しているという現象そのものが一般に認識されているわけではなく、本稿はその現象の紹介がメインである。

 また、なぜそうなるのかの議論も少ない。そこで成長のメカニズムを過去30年の経験から@客室数の増加に代表される受入体制の充実A充実した受入体制を全国に知らせ、販売するという流通体制が整っていたことB受入体制を充実させる適切な計画が立てられたことC危機の際のリカバリー体制が迅速に組まれたこと、とできるだけ単純化して推測する。

 成長には上限があると考えられるが、初期に指数関数にフィットし、その後、緩やかに上限に近づく様子を説明するのにロジスティック式が有名である。沖縄観光を当てはめてみると、2千万人以上の上限を想定することによって、現状の成長が指数関数的となる。もし、このような方法で長期予測が可能なら、地域の観光政策に役立てることができる。

1. はじめに‐沖縄観光30年間のアウトライン

 沖縄の観光産業は1975年の沖縄国際海洋博覧会を契機に急拡大した。300万人とも500万人ともいわれた海洋博の観光客の受け皿として、続々大型ホテル、中小ホテルが建設された。海洋博で156万人を受け入れたが、翌年は半減。倒産金策も続出した。

 地元観光事業者と政府、航空、旅行の流通各杜が危機突破のキャンペーンを展開し、海洋博で増えた受入能力をフルに活用する形でその後盛り返す。

 以後、2005年まで低迷と成長をくり返した沖縄観光だが、内部でこれを見ていると、なぜ観光客が急増する時期と低迷する時期があるのか分からなかった。しかし、図1に示すように、1972年から2005年までの観光客数を片対数グラフにとると非常にきれいな直線に乗ってくることが分かる。海洋博前後を除く1979年から2005年まで、年平均4.5%増のトレンドのまわりに低迷と成長がまとわりついている。

図1 沖縄観光の長期トレンド

 観光産業は外部要因に左右されやすく、不況の折りにはその影響を受けて低迷し、景気がいいときには観光客も増えるものと単純に考えられてきた。沖縄県は毎年暮れに次の年の観光客数の目標値を発表しているが、数値の決め方は政府の景気予測などをベースに伸び悩んでいるときは低い伸びを想定し、伸びているときには大きめの目標を出す、あるいは予算が減るとキャンペーンに回す費用がないからといって低い目標を立てた。

 しかし、低迷と成長の繰り返しにはパターンがあるように見える。実感としては、最初に海洋博でホテル建設ラッシュを経験したが、その後、規模は小さいもののホテル建設ラッシュが1980年代後半、1990年代中盤から後半、2000年代は2002年頃から現在まで4度くり返された。

 図2は図1を通常のグラフに書き直したものだが、低迷と成長が次のようにくり返された。

図2 沖縄観光の10年周期

 1期 1972年から1975年の海洋博までの急成長期(観光客数は年平均38.5%増)

 2期 1976年の急減から1979年までの急成長期(同25.4%増)

 3期 1980〜1986年の低迷期(同2.1%増)

 4期 1987〜1990年の急成長期(同9.3%増)

 5期 1991〜1994年の低迷期(同1.7%増)

 6期 1995〜1999年の急成長期(同8.4%増)

 7期 2000〜2001年の低迷期(同2.0%減)

 8期 2002年以降の成長期(同4.0%増)

 この低迷と成長の繰り返しは、1期と2期の8年、3期と4期の11年、5期と6期の9年、7期と8期以降とほぼ10年周期のセットになっており、1期を除く10年周期の最初に低迷し、後半に急成長をくり返した。

 この10年周期は、沖縄振興計画がたてられた時期とほぼ重なる。

 沖縄振興開発計画(1972〜1981年度)、第二次沖縄振興開発計画(1982〜1991年度)、第三次沖縄振興開発計画(1992〜2001年度)、現在の沖縄振興計画(2002〜2011年度)である。

 沖縄振興策の最初の10年に海洋博が計画・実施され、見事に成功したことから、1981年策定の2次振計で観光客数を193万人から10年後に300万人(毎年平均4.5%増)にしようと計画、実現した。 3次振計では1991年に301万人となった観光客数を2001年に500万人(毎年平均5.2%増)に拡大する計画を立て、2001年は9.11テロで443万人と目標に届かなかったが、達成率88%とほぼ目標通りとなった。2011年までの計画ではテロで大幅に減少した2001年を基準に毎年3.9%成長の650万人を目標にしているが、2005年まで5.5%成長と目標を上回る勢いで伸びている。

 10年ごとの観光客数目標に向けて県内ではホテルが建設されたが、海洋博後最も大がかりな建設となったのは1984年の万座ビーチホテルだった。その後、1987年のサンマリーナ、かりゆしビーチ、1988年の沖縄残波岬ロイヤル、ルネッサンスなど大型リゾートホテルが続々開業し、受入能力が高まった。この受入能力の高まりから80年代後半の観光客数も拡大する。

 客室が増加し、それにあわせて観光客数が拡大したところで、再び1990年頃には客室不足となった。この時は資産バブルであり、1980年代後半までに100を越えるリゾート計画が持ち上がっていたが、バブル崩壊でほとんどがとん挫した。しかし、1991年のかりゆしオーシャンタワー、1992年のラグナガーデン、1993年のリザン、那覇市内のロワジールと計画通り大型ホテルが開業する。さらに1994年のアリビラ、那覇市内にかりゆしアーバンができると、客室が立て続けに大きく増えたのに対して、観光客数は低い伸びとなり、沖縄全体のホテル稼働率が1993年から3年連続して大幅に低下した。沖縄県は2001年に500万人を計画していたが、絶望的なムードが広がった。価格破壊が流行語となっており、超円高で海外旅行ブームが起こり、新聞各社が「沖縄観光の危機」を取り上げ、中には沖縄観光はこれで終わった、と述べるところも出て来るほどだった。

 しかし、海洋博で落ち込んだときと同様の業界・行政のリカバリーキャンペーンが1994年から再び展開され、1995年から盛り返す。これが1990年代後半の急成長に結びつく。この時も拡大した受入体制をフルに活用する形で観光客を増やし、2000年サミットにつないで行く。

 しかし、1999年には再び客室が窮屈になって来ており、2000年は航空運賃の自由化で4月から価格が上がる。また、サミットでは県内ホテルが警備のため貸切り状態となったために観光客が受け入れられず、前年割れとなる。

 翌2001年は480万人の勢いで観光客は増えたが、9.11テロで443万人と2年連続で前年割れを経験することになる。再び危機突破大会が開かれ、業界、政府を挙げてのリカバリーキャンペーンが強力に展開された。旅行価格を下げて2002年の観光客数は483万人と拡大。2003年以降、価格を戻しながら2005年には過去最高の550万人を達成した。テロ後の急拡大は2003年のモノレール開業にあわせて沿線に宿泊特化型のホテルが急増した影響も大きい。既存ホテルは受入先が増えたため予約を多めにとった結果、オーバーブッキングも目立った。

 2002年から始まる政府と県の10年計画では2011年の観光客数を650万人と低い目標にとどめている。これは那覇空港の受入限界が発着回数16万回(内2万回は自衛隊利用)、観光客600万人と観光審議会事務局が推定していたからで、民間の観光審議委員の多くが700万人を主張したのに対し、宮古・石垣、クルージングを含めて間をとった650万人で政治的に決着したものである[2]。(実際には那覇空港の発着能力は2015年、800万人を越えると思われる。旧運輸省と日本航空の共同実験で発着間隔をつめて1本の滑走路の発着限界は18万回プラスαとしている[3]。)

 年別の観光客数、客室数、定員稼働率、滞在泊数を図3に示した。客室が急増して稼働率が低下し、その後、キャンペーンなどで観光客が増加する様子が分かる。特に1995年頃、客室が急速に増加したのに、観光客が伸び悩み、稼働率が大幅に低下した様子が明快である。客室が大幅に増加することは事前に分かることであり、既存ホテルの稼働率を落とさないためにも、年間観光客数の目標設定は大きく掲げて、大がかりなキャンペーンを機動的にタイムリーに計画・実施すべきである。

図3 観光客数、収容人員、稼働率、滞在泊数

2. 成長の理由‐受入体制の充実を流通企業が活用した

 30年間のアウトラインで述べた主な成長の要因を整理すると次の4つである。

(1)客室に代表される受入体制の拡大によって、観光客が増えた。

 民間のホテル建設、テーマパーク、飲食店、バス・タクシー・レンタカーなど域内交通、人的サービス、行政による道路やダム、空海港建設なども受入体制である。客室がなければ沖縄に行けないので、観光客の拡大にどうしても客室の増加は必要である。客室の増加と観光客の増加に相関があったことを図4で示す。

図4 年間観光客数と客室数の関係

 また、グアムやサイパンなど沖縄と条件が似ていて、すでに失速している観光地もあるが、データが入手できず、詳しく内容を見ることが出来なかった。航空会社が不採算路線としてリストラし、旅行会社は「利益が出ないのに、(お客が減ることが)怖くて値上げができない」といっている。図6で見る流通のパイプに不調を来している可能性がある。

 また、人口規模などが似ており、沖縄と比較すると面白いハワイの観光客数と客室数[4]、沖縄よりはるかに規模は大きいが、各室数の増加に応じて観光客欲も増えていると見られるラスベガス[5]、WTOがまとめている世界の到着観光客数[6]の様子を図5で見る。ハワイは1970年頃に室数の増加が緩やかになり、観光客数もそれまでの年間18%成長から5%成長にスローダウンし、1990年から伸び悩むという3段階のフェーズがある。沖縄と1970年以降のラスベガス、世界は一本調子の成長である。世界観光も1950〜1970年とその後で伸び率がやや鈍化している。WTOは1995年を基準に2020年までの見通しを公表しており、期間中の伸び率は4.1%を予想している。

図5 世界の到着観光客数と沖縄、ハワイ、ラスベガスの観光客数と客室数

 なお、沖縄の観光客数を海外と比較するのは、データの取り方がまったく同じたからだ(到着客をカウントしている)。国内の他の観光地は交通手段が多彩であり、観光客数のカウント方法が全国で統一されていない。また、地元客も混在していて、沖縄のデータとは質が異なる。

(2)充実した受入体制を流通企業が販売した。

 航空・旅行の流通企業は旅行商品をつくり、閑散期にはイベントを打ち、需要拡大に向けてPRやマーケティング、セールスを強化して観光客を沖縄に振り向けた。

(3)行政は10年ごとの節日に5%成長得度の目標をたて、計画的に成長を誘導した。

 これは(1)の受入体制の充実が図られる理由の一つになった。

 なお、観光産業が目標をこれほど正確に達成したのは特筆すべきである。これは初期の製造業などが県内マーケットだけをターゲットにしていたのに対し、観光産業は性質上、最初から全国を市場に据えたことによるだろう。県内企業だけでなく、国内最大の旅行・航空会社が沖縄の観光産業を推進したが、このような協力体制は他の産業ではあまり見られなかったことである。

(4)危機の際のリカバリー体制がよく作動した。

 このうち、(1)と(2)について、イメージしたのが図6である。

図6 沖縄、市場、流通(情報)の仕組み

 需要とは年間1泊以上の旅行(ビジネス・観光含む)に出掛ける国民の総数と考えることにすると、年間3億5,000万人の規模である[7]。供給とは沖縄側の客室数など受入体制である。沖縄県内のホテルがフル稼働したとしても、現状で660万人程度である(8月の月間観光客数55万人×12ヶ月)。ただし、沖縄の受入能力は毎年ホテルが新設されており、航空会社は需要に応じていくらでも供給を増やせるといっているので、毎年拡大している。沖縄側にホテルを建設しても、それを市場に知らせ、販売しなければ観光客は集まらない。それをやるのが航空・旅行の流通企業である。図6では需要と供給の間にあってバイブのような絵を描いている。航空会社そのものも旅行会社に座席を販売してもらっているが、ここではキャンペーン能力、グループ企業による旅行商品の卸売機能などから旅行社と一体の流通と考える。で、実際にこのパイプを通って観光客は沖縄に来るのである。

 沖縄にホテルが増えても中国の観光客が増えることにならないのは、途中に流通のパイプがないからだ(海洋博の際、旅行社との契約のあるなしでホテルが満杯になったり、ガラ空きだったりしたことと同じである)。

 (3)と(4)は重要な機能ではあるが、旅行の日常業務のなかではあまり意識されることはないので、図6からは省略する。

 以上が沖縄観光成長の原動力である。非常に多くのものを無視した。そもそも、沖縄の魅力とは何か、観光客の旅行の動機は、航空運賃の影響は、政府の支援策は、ホスピタリティーは、キャンペーンやイベントの効果は、ブームをどうやってつくったのか、地域計画は、個別企業の成功・失敗のストーリーは、観光産業をリードした中心人物は、客層の変化は、などなど重要なテーマに触れなかった。ところが、著者の日常業務はまさに本稿で触れなかったことに関する仕事がほとんどである。その上で、それらは(1)〜(4)という骨に付属する血や肉であるといまは考えておく。

3. どこまで伸びる‐1,000万人は2018年〜2024年

 成長の限界を考えるに当たって、社会や環境の受入能力、空港などのインフラの問題、ホスピタリティーなども考慮すべきであると思うが、それらはこれまで同様、成長の過程で十分解決されると見込む。簡単な数理モデルでおおざっぱな上限を試算してみる。図1の直線は、観光客数をNとし、ωを成長率(沖縄の場合の0.045)とすると

  Aeωt          …(1)

で表される。(1)式は一階線形微分方程式

  dNdtωN       …(2)

の解である。(2)式の意味はの増加速度は

に比例するというものである。これは現状と同じ努力(ホテル建設など受入の充実、流通企業の売上の拡大策など)がつぎ込まれるなら、はいつまでも一定の増加率を維持するというものである。

 しかし、永遠に成長が続くとは考えにくい。沖縄の観光は始まって30年たったのに、いまだに失業率は全国一高く、所得は全国一低い。最近の米軍の沖縄撤退計画で、やっと広大で有効に活用できる米軍基地が返還さることになった。これから完全雇用を目指して一層大がかりな開発が進展することになる。すると、現在の観光産業はまだまだ初期のものであると考えてよい。規模をもっと大きく拡大させる必要があるのだ。その過程で現在、国内需要を中心に展開している観光産業を、国際化しなければならなくなる時期が来るだろう。

 初期には指数関数的に増加し、限界に近づくと緩やかに増加する曲線にロジスティック式がある[8]。最初、人口推計式として考案されたが、生物学で検証され、経済学でもよく使われる。それにならうと、観光客数の変化は、上限をとして、

  dNdtω     …(3)

と書ける。(3)式だと観光客は最終的にKまでしか成長しない。また、よりも非常に小さいときは(2)式とほぼ同じになる。これを沖縄に当てはめてみる。

 計算の実際は差分方程式

  =((1+ωΔt)−ωΔtNn  …(4)

 を使った。+1年の観光客数は年で示される。 Δt=1(年)とした。また、滞在日数は現状維持を想定している。

 すると、1979年から2005年までの沖縄の観光客数にフィットするロジスティック式からは、上限が少なくとも2,400万人と算出され、時期は130年後となる。現在の550万人が1,000万人となるのは、2024年である。もし沖縄の上限がもっと大きく、5,000万人くらいなら2018年に1,000万人に到達する。

 また、ラスベガスの上限は少なくとも2億4,000万人、時期は140年後となった。現在の3,850万人が1億人になるのは2030年である。

 ハワイについては1990年以降低迷していて、すでに上限に達している可能性があり、昨年の実績738万人付近に上限があるのではないかと推測する。仮に750万人を上限と見て、(4)式を当てはめてみると、成長率は初期の年率18%を使い、図7のようになる。

図7 ハワイの観光客数とロジスティック式

 沖縄とラスベガスは、現状より桁違いのところに上限があるような結果になった。逆にハワイは意外と早く限界になっているように見える。

 しかし、ハワイの観光客の平均滞在日数は9.0日(2005年)と沖縄の3.7日(2004年)、ラスベガスの4.5日(2005年)に比べて非常に長い。ハワイの観光客数は738万人だが、ラスベガスのちょうど2倍も長期に滞在しており、密度が濃いものになっている。ハワイの観光客数をラスベガスに換算すると約1,500万人となる。また、沖縄の観光客の滞在日数はハワイの0.41倍でしかない。ハワイの738万人は沖縄の1,800万人に相当する。

 ハワイの客室数の増加は図5で見たように、1970年頃に一度減速している。成長がゼロか低い伸び、マイナスになり始めたのは客室の増加がなくなった1990年以降だが、なぜ、ホテルを造る人がいなくなったのか、よく分からない。1990年代前半は日本のバブル崩壊があり、1991年に湾岸戦争が起こる。クリントン大統領が登場すると、所得税の累進制を強めた。また、1990年以降、米国内の観光客が減少し、日本人を主力とする外国人観光客は1997年まで拡大を続けた。1997年以降、外国人観光客が減少し始めるのと入れ替わりに、米国内観光客が増え始めている。観光客数よりも歩留まりを高める政策に転換し、ハワイのホテルも飲食店も満足しているという。

 ハワイ大学のジョージ・イケダ教授は琉球大学で開かれたシンポジウムで、ハワイで深刻な問題は「労働力不足」で、2005年第1四半期の失業率は全米最低の2.8%となっていると述べている[9]。ハワイはほんとうに上限に達していて、もはや伸ばす必要はなく、一丁上がり、という状態になっているのかも知れない。

4. おわりに

 観光客数の長期予測は地域にとって将来展望を切り開く重要な仕事になる。沖縄では10年ごとの振興計画でこれまで長期目標が三度たてられた。三度目の現在2011年まで毎年平均3.7%増を計画している。このような計画は観光産業を拡大する際の推進力になるだろう。

 一方、WTOは1995年を基準に、2020年までの世界の到着観光客数は毎年4.1%成長するという長期見通しを立てている。面白いことに沖縄、世界、ラスベガスの実績はセミログにプロットすると直線になり、上限はすぐに来そうにない。

 ところが、人口125〜135万人という規模や島嶼である点など沖縄と条件が似ているハワイ観光は、1950年代はじめから急成長し、40年後の1990年には700万人直前で上限に達したように見える。 1980年代「ハワイは今世紀中に観光客1,000万人を達成する。そうなってもハワイは沈みませんから安心して下さい」と担当者は述べたものだった。ところが、伸び悩んでいるハワイは失業率が下がり、ホテル稼働率は高止まりして、幸せな状態になっている。収入が増えずに困っているわけではなく、人手不足が深刻な問題になってきたというのだ。地域にとっての観光産業の究極の目標を達成したのではないか。

 そのような状態になる前に観光産業が失速する地域も多い。これは流通のパイプに変調を来している可能性がある。観光地の盛衰の様子も含めて、今後、一本の方程式で観光地の成長を説明する論文を提出する予定である。

資料出所

 本稿で使ったほとんどの数値データはインターネットで得られる。

[1]沖縄県:平成16年版観光要覧(2005)

http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=233&id=10541&page=1

[2]沖縄観光速報社:観光とけいざい、第606号pp.1(2002)

http://www.sokuhou.co.jp/backno/606.html#t1

[3]JAL:わが国の「産業競争力強化戦略」と基幹空港整備(2002)

http://www.jal.com/ja/corporate/claim/key08/index5.html

[4]State of Hawaii:2004 Annual Visitor Research Report(2005)

http://www.hawaii.gov/dbedt/info/visitor-stats/visitor-research/2004-annual-visitor.pdf

[5]Las Vegas Convention and Visitor's Authority:Historical Las Vegas Visitor Statistics (1970-2005)(2006)

http://www.lvcva.com/getfile/Historical 1970 to 2005.pdf?fileID=80

[6]WTO :International Tourist Arrivals, 1950-2004 (2006)

http://www.world-tourism.org/facts/eng/pdf/historical/ITA_1950_2004.pdf

[7]株式会社ジェイティービー:2006年の旅行動向見通し(2005)

http://www.jtbcorp.jp/scripts_hd/image_view.asp?menu=news&id=00001&news_no=408

[8]山口昌哉:カオスとフラクタル 非線形の不思議、講談社ブルーバックス、pp.50-86(1986)

[9]琉球大学法文学部観光科学科:琉球大学法文学部観光科学科創設記念シンポジウム報告書、pp.14(2005)

渡久地明(観光情報学会正会員)

1957年生。82年3月群馬大学大学院工学研究課程修了、電気工学専攻工学修士。82年4月より沖縄観光速報社記者、00年編集長。00年琉球大学非常勤講師。02年おきなわ観光情報学研究会主査。


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