日本精神とチャイナ精神の間に生まれた台湾精神

(「観光とけいざい」第648号04年1月1日、第649号04年1月15日。WEB公開04年2月10日)

元台湾観光協会会長特別補佐 蔡 東海

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(本文は筆者が〇三年九月五日、台北市日僑工商会の月例会でスピーチし、その後さらに十一月十四日、台北市玉蘭荘および同月十九日台湾日本人会台中支部でスピーチした内容を文章にしたものである)

1、前置き
2、日本精神とは
(1)日本精神の原点は武士道精神、さらに大和魂に遡る
 (2)桜と富士に代表される気高さ (3)木と紙に代表される日本文化〜変わり身の早さ (4)エスカレートした日本精神 (5)ゆがめられてきた日本精神
3、チャイナ精神とは
(1)中華思想の祟り
 (2)皇帝思想 (3)利己主義・家族主義・金銭至上主義 (4)甚だしく衛生観念に欠ける (5)中国は侵略国家である
4、台湾精神とは
(1)台湾精神の原点
 (2)現代版台湾精神の構成 (3)新台湾人の定義
5、結び

1、前置き

 私がなぜこのような長いタイトルでお話申し上げようと思ったのか? ご存じのように台湾では〇三年四月頃から中国の感染を受けて新型肺炎(SARS)が発生しました。その期間中に諸々の公権力を無視した、わがままな行為が続出しました。その中でもとりわけ台北市馬偕病院の医師らがSARS患者と接触していながら、医師の倫理に反して日本旅行に参加し、旅行中自分が熱発したために日本と台湾の両地で大騒ぎになり、おかげで台湾国民全体が日本の坂口厚生大臣からお叱りを受けたことです。

 これら諸々のあまりにも自由を通り過ぎて公権力を無視した行為は、中国でのSARSの発生以来半年もその事実を隠蔽したために、全世界に迷惑をかけた「チャイナ根性」と全く同じではないか! いったい台湾人の精神=魂=国民性=民族性はどうなっているのか? と考えて結論として台湾は一八九五年から日本の統治下に入り、したがってその教育を受け、一九四五年以降は中国国民党という外来政権の統治が始まり、その教育を受けたので台湾精神は日本精神とチャイナ精神の間に生まれたものであるという結論を見いだしました。

 そこで私は台湾精神を生んだ日本精神とチャイナ精神のそれぞれの原点と特色を捉え、さらに台湾精神の原点とその構成を分析したいと思い、このような長たらしいタイトルでお話しすることになった次第です。

2、日本精神とは
(1)日本精神の原点は武士道精神、さらに大和魂に遡る

 現在日本人が使用しています五千円札の肖像画にもなっている新渡戸稲造博士(台湾製糖業の基盤をつくられた台湾の恩人)は一八九九年英文で「武士道」という立派な著作を発表し、その後十七カ国語に翻訳されました。先生は武士道精神を武人または騎士(ナイト)の道と位置づけられました。そしてその淵源は不明確としながらもだいたい十二世紀末、源頼朝が鎌倉幕府を成立させた頃からではないかと申されました。

 私はこの説に疑問を持ち、著作の中の「但しその封建制の芽生えはそれ以前から…」という但し書きに着眼し、大胆にも大和朝廷にまで遡らせました。そしてその根拠を聖徳太子の国書に求めたのです。ちなみに聖徳太子が紀元六〇七年に小野妹子を第一回の遣隋使として、当時中国の随王朝へ派遣した。その国書の書き出しは「日出ずる処の太子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」という堂々たる対等の交流を求める国書でした。

 ちなみに当時の大和朝廷はやっと基盤が固まったばかりで、確か近畿・九州のみを統治し、東北地方は未だ平定していなかったはずの小国でした。假に神武即位(皇紀元年)を日本書紀に示すとおり紀元前六六〇年にしましても、聖徳太子が遣隋使を派遣した頃まで僅か千二百年、片の随王朝(五八九〜六一八)は夏王朝から計算しますと約三千年、千八百年近くも歴史が違います。而も随王朝自体は僅か二十年間しか持ちませんでしたが、その前に百六十年間も続いた南北朝の混沌たる局面を統一し、さらに次の安定した唐王朝三百年の礎を築いた大国であります。

 その大国に対し、堂々たる対等の国書を送ったということは、私はこれは武士道の神髄である「小さな子供をいじめず、大きな子供に背を向けない」精神に合致しており、現代の日本の政治家にそういう気迫のある人は何人いるかと聞きたいのです。

 さらに昔の歴史教科書には記載され、また、中国国民党政権下の中華芸術院日本研究所発行の「日本簡明百科全書」にさえ漢文で二カ所上述の国書の文句が記載されておるのに、何故現在使われている歴史教科書には記載されていないのか? 現代の歴史学者にはそれだけの度胸がないのか? それとも文部科学省は中国が怖いのか? どっちかです。

 私は新渡戸先生の著作を拝読して、私なりに武士道精神=大和魂を「私利私欲に走らず、人を助ける思いやりがあって、潔白であり、いざとなったら死ぬべき場所で潔く死ぬ精神」であると結論づけました。昔は人民を士農工商の四階級に分け町人や百姓は武士から馬鹿にされましたが、それでも武士道は全民あこがれの的になっていました。それは「忠臣蔵」の物語が何代も何代も後世に語り継がれたことで納得できると思います。

(2)桜と富士に代表される気高さ

 日本人は小学校の頃から「桜、桜、野山も里も」とか「花は桜花、人は武士」と歌って大きくなっていきます。桜は日本の国花であり、桜のように華やかに咲きぱっと散る気高さは日本人の特性を良く表しています。江戸中期の国学者本居宣長は「敷島の大和心を人問わば、朝に匂う山桜」と詠みました。

 次ぎに富士山ですが、「富士は日本一の山」の童謡に始まって「お座敷小唄」や「旅姿三人男」に似たような文句〜「富士の高嶺に降る雪」とか「富士の高嶺の白雪」などと歌われています。終戦後復員船で帰国する兵士たちは、祖国日本に近づいて富士山が見えてくると、涙をぽろぽろ流して泣きました。「愛国行進曲」の中にも「おお晴朗の朝雪に、聳ゆる富士の姿こそ」という一節があります。このように富士山も桜同様、日本人の気高さを表しています。

 明治以降は国民平等になり、偉い政治家が輩出しまして、武士道を平民化し、その精神を国民道徳の規準にしました。明治二十三年十月三十日に発布された「教育勅語」には「親に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ」と教えています。

 民主時代となりましたので「君に忠に」を「国に忠に」と置き換えましたら、これは五倫の教えであり、古今東西に通じる「人の道」であり、そのポイントは「一旦緩急あれば(私利私欲を捨てて)義勇公に奉ずる」精神にあると思います。

 二次大戦後その教育勅語を廃止したために、台湾も同じですが、道徳が退廃し、犯罪が激増、中には親殺しまであり、離婚率も高くなっています。

(3)木と紙に代表される日本文化〜変わり身の早さ

 木と紙に代表される文化とは、家屋の構造だけを申し上げているのではなく、その変わり身の早さと軽さからも言えると思います。そして日本人の性格の欠点も武士道から来ています。忠臣蔵の悲劇主人公浅野内匠頭はその代表的な人物でしょう。

 近畿大学の古屋奎二教授は彼の著書「故宮博物院物語」の中で「マッチ軸一本の炎で容易に過去を清算できる」とし、下記二点を挙げています。

 その一は明治維新の一声ですぐ欧米文化を取り入れたこと、その二は第二次大戦終戦後直ちに民主主義国家に切り替えたこととしています。私はこれに共鳴すると同時に、さらに第三の例を加えたいと思います。それは一九七一年に米国のキッシンジャーが秘密裏に訪中しただけで、日本の政治家は大慌てにあわて、翌(七二年)年九月二十九日にはもう日中国交正常化に踏み切りました。でも、当のアメリカはどうでしょう? 悠々と七年三カ月も遅れ、七九年十二月十六日になってやっと「米中国交正常化」し、しかも「台湾関係法」なる法を制定して、台米間はずっと今までに次元の高い交流を行ってきました。

(4)エスカレートした日本精神

 私は日本は日清・日露戦争では戦力や兵力で相手の大国に勝ったのではなく、大和魂の真髄を最大限に発揮し、挙国一致して勝ったのだと高く評価しています。ある本で読んだ記憶を思い出しますと、日本海軍の某提督がある時、日本海のかなたで航海している支那の軍艦を双眼鏡で見て、軍艦の大砲の上に水平のパンツが干してあるのを発見し、「支那と戦ったら必ず勝つ」と予言されました。支那の軍人には「魂」がないのです。ところが残念なことに、その後日本精神はエスカレートして止まるところを知らず、朝鮮を併呑し、満州国を成立せしめ、日支戦争でぬかるみにはまり、太平洋戦争を経て終戦を迎えるに至りました。

(5)ゆがめられてきた日本精神

 日本は終戦後全く自信を喪失し、偉大な政治家にも欠け、日本精神はだんだんゆがめられてきました。

 日本は確かに中国や東南アジア各国を侵略しました。しかし、東京裁判で裁かれ、米軍の駐留を経てサンフランシスコ条約及び各国との個別的な国交条約によって賠償し、謝ったはずです。その後、何回謝れば気が済むのでしょう? 戦犯だって日本の「お国のために」尽くされたのです。連合軍によって勝手に戦犯にされただけで、「勝てば官軍、英雄」ですよ。靖国神社に祀られなくてどこへ祀られますか? そもそも靖国神社とか教科書問題は一国の内政問題です。なにもいちいち隣国から干渉される筋合いのものではないはずです。最初から「内政干渉もいい加減にしろ」と突っぱねる勇気がなかったがために、後から後から干渉される羽目に至ったわけです。

 二〇〇二年五月の審陽事件で川口外相は最初「主権を守る」と大言を吐いていましたが、相手の唐家旋に「大局を考えなさい」と一言いわれて有耶無耶に終わりました。十八歳まで日本人として生きてきた私には他人事とは思えず「日本は今こそ挙国一致して主権を守れ」という拙文をサンケイ新聞に投稿し、五月二十八日同紙に載せてもらいました。しかしそれも水泡に帰したわけです。

 次ぎに、図体だけが大きく肝っ玉のない某外相がある年ソウルからシンガポールに向かう途中、台風で仕方なく台北国際空港に不時着陸しました。私は彼が飛行機から降りなかったことについて非難するのではありません。彼はシンガポールで銭其深と顔を合わせたとたんこのことを「報告」し銭氏は苦笑いするだけで相手にしなかったのです。今の情報時代にあなたがいちいち報告しなくたって彼の耳にはすでに情報がキャッチされているはずです。(1)項に掲げた聖徳太子の国書に比べますと、ひどく国権を損ねたみっともない話しだと思います。

3、チャイナ精神とは
(1)中華思想の祟り

 上述、古屋奎二教授は日本の文化に比べ中国の文化は「土着の文化、金の重さと輝きを持った文化」であると誉めています。それは一応正しいと思いますが、あまりにもうぬぼれすぎて自大自尊になり、自分だけは中華、周りは東夷、西戎、南蛮、北狄と野蛮国扱いにしています。

 国力が弱いときは小さくなっていますが、少しでも国力が充実してくると、この思想がエスカレートして他国の内政にまで干渉します。例の唐家旋は記者団に対し「(小泉首相に)靖国参拝に行くなといっておいたよ」の発言は、他国の首相に対してあるまじき発言ではないかと憤りを感じるものであります。

(2)皇帝思想

 皇帝すなわち天子で、天子は天命によって国を治めるという思想です。しかし皇帝は徳を有することを必要とし、徳を失うと革命が起こり、王朝がかわります。日本の万世一系と違い、皇室を尊敬する思想は全然ありません。

 この思想はプロレタリア専政時代になった今日でも相変わらずで、かつて毛沢東は依然として昔の皇帝の後宮生活をエンジョイしていたことは「毛沢東の私生活」などで明らかにされています。そして言論の統制は伝統的で、SARS発生のときも自国の人民に知らせなかったばかりでなく、外国政府にも圧力を加えて情報の公開を遅らせました。

(3)利己主義・家族主義・金銭至上主義

 中国では「自掃門前雪」という言葉がまかり通っているように、まず自己の利益を真っ先に考え、次に家族、そしてせいぜい部族・宗族までで、国家観念は全くなく「公に奉ずる」精神はさらさらありません。中国では口で言うのと実際行動が違うのは当たり前のことと考えられ、台湾に住む自称政治家中国人は倅の名義で米国に五軒の豪邸を所有しながら、母の家の便所の扉を修繕する金がないと平気でウソをついています。ほとんどの商売人は利益追求のため、例えば目方をごまかすために鶏に砂を突っ込んで市場へ持っていって売ったりします。そして医師になったら特権階級の師弟以外は田舎へ追いやられるので医学院志望者は劣等生ばかりで「手術のメスは包丁に如かず」といわれています。

(4)甚だしく衛生観念に欠ける

 第(1)項に「中華思想」を掲げましたが、いったい何が「中華」ですか? 中国は世界疫病拡散の中原であり、国民三人に一人が肺結核患者で、八〇%以上の人民が寄生虫を持っています。公共トイレに扉がないことはご存じの通りで、農村では歯磨きや入浴の習慣がなく、人間と家畜が同居しています。そして偽薬と有害食品をまき散らし、日本もかつて少なからず被害を被りました。だからSARS問題は他人の生命よりも自己の利益を追求する中国社会の氷山の一角に過ぎません。

(5)中国は侵略国家である

 大陸は見渡す限り陸地続きで山はあれど海は見えず、こちらから侵略しなければ相手に侵略されます。だから中国五千年の歴史は戦乱続きです。現在では台湾本土から六百キロ以内の中国沿岸に合計四百九十六基の弾道ミサイルが配置され、武力による台湾侵略を公言してはばかりません。

 そもそも日本はサンフランシスコ平和条約と台北との平和条約で「台湾の主権を放棄する」とのみ述べていますが、どこの国に移譲するかとは言っておりません。それを一九四九年に建国して以来、一日たりとして台湾を友好的に支配したこともない国が何をもって厚かましく自国領土の一部といえますか? 現在では台湾の一切の国際社会への加盟を全力で阻害し、台湾の孤立化を図っています。

4、台湾精神とは
(1)台湾精神の原点

 そもそも台湾精神の原点は私たちの祖先が三百余年前に、当時「黒水溝」(黒水の溝)とあだ名された台湾海峡の荒波を乗り越えてきた不撓不屈、堅忍不抜、そして歴代の異民族と外来政権の圧政に力強く耐え、ひたすら為政者の言いなりで法を守って来た忠実な性格に原点を求めることができると思います。

 そして当時の清朝政府の禁止令もさることながら、あの荒波の台湾海峡では事実上妻子同伴は無理でした。だからいまでいう、所謂「単身赴任」それこそ裸一貫でやってきました。そして原住民族のうち平地にすむ比較的文化程度の高い平埔族の女を娶って子孫を増やしてきました。だからそれらの子孫であるわれわれには八三%の平埔族の血統が流れており、中国人の血統はわずか一七%しかありません。(日本在住の評論家黄文雄氏の説による)

(2)現代版台湾精神の構成

 台湾は一八九五年から日本の植民地になり、日本的教育を受けました。そして一九四五年に中国国民党外来政権がやってきて、中国式教育が開始されました。だから現在台湾に住む人民は@日本精神で育った熟年層や日本帰りの教授や留学生、日本語族(職場で日本語を話す者、老人や原住民で終戦当時北京後を習うことを拒否した者、日本のすべてにあこがれを持つ哈日族)とAチャイナ精神のみで育ち考え方が全くチャイナ的である者、戦後中国からわたってきてあくまで中国を祖国と思っている者、のミックスで構成されています。どっちに属しているかは家庭教育や環境、教養や宗教信仰などで異なるもので、年齢や出身の背景とは必ずしも直接的な関係はありません。

 そして圧倒的にAに属する比率が@よりも高く、特に九二一地震とかSARSの発生など一旦緩急のときに徹底的にAの属する根性が暴露して、利己主義、責任逃れになり、「公」に尽くす精神に欠ける行為が露呈いたします。

(3)新台湾人の定義

 ここでついでながら私なりの「新台湾人の定義」を申し上げたいと思います。私は現在台湾に住む所謂本省人(三百年前に渡台した者の子孫)、外省人(二次終戦後渡台した者およびその子孫)、あるいは原住民を問わず、台湾政府の支配を受け、台湾を愛する者すべてが台湾人であると定義づけたいと思います。

 ここでさらにアイデンティティーの問題があります。現在の米国人のうち原住民であるインディアンを除き、それ以外はすべてイギリス、オーストラリア、アフリカやアジア各地からの移民です。でも彼らは英国人とかアフリカ人とは言いません。必ずアメリカ人だといいます。

 次ぎにシンガポール人もほとんどが中国やマレーシアからの移民です。でも彼らは一律に「私はシンガポール人」といっています。ですから私はここで「台湾人即ち中国人」ではないことを強調したいと思います。

 もし台湾の現状に不満であくまでも中国を祖国と思っている人は「どうぞお帰り下さい」と申し上げたいのです。

5、結び

 私は「日本精神」の項で、最初日本精神を高く評価しながらも、最後には「ゆがめられてきた」と批判しました。しかし、「台湾精神」と比べたとき、台湾精神はまだまだ大いに日本精神に学ばねばならないと、私は思いで話を二点申し上げて本稿の締めくくりとしたいと思います。

 第一点で私は一九八七年東京ディズニーランド開業間もなく友人から招待券を貰っており、しかし直接その券では入場できないので、入場券に換えて貰うため事務所へ行ったら「この券をご使用になる方は六十歳を越していますか」というご質問。私たまたまその年六十になったばかりなので「はい私です。六十歳になりましたパスポートを見せましょうか」といったら「いや結構です」といって中へ入って入場券と同時に八百円私にくれました。お金を見てびっくり。「これは何のお金ですか」と聞いたら「それは六十歳以上の方に対する割引です」との答え。

 こちらは一銭も払っていないし、何も知らないのに反対に割引の金をもらえる。このような日本人の几帳面さは台湾人にはありません。そして日本や米国では人の言うことを信用して一々証明文献を見たりしません。米国のゴルフ場に行って私は外で待っていて、若い者が受付で「シニア一人」といえばちゃんとシニア料金で計算してくれます。「ご本人を見せろ」とは絶対に言いません。この点も台湾人の学ぶべき点です。

 第二点は同じく東京で発生したことですが、ある時仲間の者と料亭で会食したとき、中途でいきなり私の背中に天ぷらのおつゆが被さりスーツとワイシャツが汚されました。そしたら店の社長がすっ飛んできて平謝りに謝ったあげく「ランドリーに出して下さい」ということで社長が私の宿泊ホテルへ連絡し、翌日洗濯物のそばに菓子箱がおいてあり、その上にはお詫びを書いた社長の名刺が貼ってありました。

 同じケースが台湾で発生したと想定しまして、台湾の人はまずウェイトレスがいろいろ責任逃れのいいわけをして、まあ中間の責任者がでてきて、運が良ければしぶしぶランドリーに出してくれるところもあるでしょうが、大概のところは謝るだけで被害者の泣き寝入りに終わることが多いでしょう。仮にランドリーに出してくれても、菓子箱はつかないと思います。この点でも台湾精神が日本精神に学ぶべきところであると申し上げて締めくくりにしたいと思います。  


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