北朝鮮レポート


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「他府県とは違う親しみ」と歓迎受ける

 出発前「北朝鮮は恐い所だから行かないで!」と娘に懇願された。小学校三年生の子にさえそう言わせる印象の出来上がった国。アメリカ国務省の九九年二月のカントリーレポートには北朝鮮の恐るべき国家による人権侵害等の内容が書き連ねられている。同レポートの内容がほぼ我々日本人の一般的な北朝鮮観だと思う。実質的な鎖国政策により世界で最も情報の少ないベールに包まれた遠い国と言える。このほど沖縄から百二十五人の友好交流訪朝団が組織され、筆者も参加した。共同宣言をアピールするなどの目的を達成した。旅の目的は個人的には二つ。北朝鮮を実際に自分の目で確かめてみるということ、それとあくまで沖縄からの視点で今回の訪朝の意味を確かめるといことであった。(寄稿/島田勝也・会社員)

■巨大映画セットのような錯覚も

 一行百二十五名は名古屋からチャーターした高麗航空の旧ソ連製旅客機ツポレフに乗り込み一路平壌へ向かった。おそらく七〇年代あるいは六〇年代製の機だと思うが、既に骨董品の域にある。機内サービスは中々のもので西洋的服装の美しいスチュワーデスが手際良く機内食を提供してくれた。離着陸の瞬間までサービスを続けている事には驚かされた。

 予想した通りではあるが五日間の滞在中、朝鮮対外交流文化協会の方々が終日付ききりの案内をしてくれるので、自由行動というものは日程の中に存在しなかった。

 宿泊のホテル内は自由であるが、タクシーが客待ちをしている訳ではないので必然的に夜の外出もガイドが同行ということになる。ホテル内のバーで一杯という時も地元の人は従業員を除いては外国人であり、宿泊も我々と一緒にするガイド達との情報交換が精一杯である。ショップには観光土産品の類はほとんどなく、ホッチキスなどの事務用品などもショーウィンドーに並んでいるが、とにかく国産品を集めたのであろう。陶器や朝鮮人参茶などごく一部の商品を除いて、観光客が買うものがないという状況である。

 地下鉄に乗って移動する時間があったが、その時が行程中唯一全く不特定の平壌市民と触れあう機会であった。

 子供達の笑顔は民族や国境に関係なく素晴らしく輝いている(写真1)。その様な状況から垣間見るこの国の状況であるが、エネルギーと食糧が相当に厳しいことが判る。首都であり人口二百万の大都市である平壌においても自動車の往来が極端に少ない。郊外のハイウェイでは見渡す限り我々一行のバスだけが走っていることが多かった。

 夜になると街は非常に暗い。街灯がほとんどないことと高層ビルも照度を落としているようでぼんやりとした輝きになる。無論、看板類は一切ないのでその輝きもない。我々の宿泊した半角島ホテルの最上階は回転ラウンジになっていて、私は毎晩そこに通っていたのだが、折角席が回転しても夜景は薄暗くて見えないのである。

 板門店(写真2)に向かう道路沿いは広大な耕作地であるのだが、素人目からも土地がやせていることが推測出来た(写真3)。荒涼とした赤土の岩山と乾燥した畑を耕す農夫達の姿があった。

 革命博物館で案内してくれた女性ガイドの「我々はどんなに今が苦しくても金日成主席の教えに従って朝鮮民族の統一を果たすのだ」という言葉がその光景とだぶる。

 平壌市内は緑も多く整然として美しい。そして二百いや五百年も残るであろう巨大な建造物(モニュメント)が多数ある。先の大戦で人口と同じ数の爆弾をアメリカに打込まれ廃虚と化したこの街を、ここまで立派に再建したことが彼らの誇りなのである。しかし、そのモニュメントはいずれも金日成・正日親子を賞賛するためのものであり、建物の入り口に立つと整列し挨拶させられる。望んで他国を訪ねた訳なのでしきたりに従うのは当然と考えていたが、整然と並ぶことが不得意な我々ウチナーンチュにとっては、あれ程頻繁にさせられるのは辛かった。

■琉球人であることを意識する

 到着初日の歓迎晩餐会における北朝鮮側の挨拶では「沖縄からの訪問団は日本の他府県とは違う強い親しみをもって熱烈に歓迎する」と述べた。反米反日で共通していると言うことなのであろう。日本の各地からの訪問団を受け入れているというが、一度に百二十五人の大型団体が訪朝するのは初めてだという。

 翌日の交流集会で沖縄側の大田昌秀団長は「知事在職中は福建省・香港・韓国・台湾・シンガポールに県事務所を開設させ交流を推進し、次は貴国北朝鮮にと考えていた」(韓国は通訳されなかったが)と述べた。琉球王国時代からの繋がりのことも込めているのだと思う。県の海外事務所については経費負担と即効効果との兼ね合いから縮小の話もあるようだが、沖縄の将来にとって近隣諸国との友好関係を構築することが如何に重要であるかは歴史からも学ぶことが出来るはずである。

■沖縄自身の外交努力

 ところで、現県政首脳と今回の訪問団を率いた前県政首脳(写真4)間には何らかの意見交換・連携はあるのだろうか? 願わくばあって欲しいもだ。何故ならば、もし沖縄に十年後、二十年後、三十年後のビジョンが明確にあったならば、今回の訪朝団の意味や価値もはっきりするからだ。

 例えば五年前には全県フリーゾーン構想、蓬莱経済圏等という言葉も飛び出していた。その理念であった一国二制度的「国際都市形成構想」は我々一般県民にとっても県の戦略やビジョンが理解され始めていた。現県政も「沖縄二十一世紀プラン」の策定等、懸命に取組んではいるが、今一つその戦略が見えてこない。

 北朝鮮では韓国を「傀儡政権」と呼んでいる。無論、我々は日本国沖縄県であり次元は違う話なのだが、是非とも東京ばかりではなく沖縄県民に向いた県政運営を今後とも強力に行って頂きたい。今回の訪朝団についても県政運営上で上手くリンクさせることも出来るはずである。沖縄の多様なカードの一つとして活用すべきである。普天間基地の移設問題においても、日米両政府が言う北朝鮮半島脅威論を沖縄自らが和らげる努力を地道に行うことになるのではないだろうか。少なくともその姿勢を示すことに価値がある。さて、現県政と前県政の戦略を誰が繋いでいるのだろうか?

■「琉球」と「朝鮮半島」

 朝鮮半島情勢は今後、急速に動き出す気配である。

 先日はオーストラリアとの国交回復が発表され、いよいよ六月には歴史的な南北首脳会談が予定されている。政治体制の違いや経済格差を考えた時に悲願の国家統一は困難な道のりが待ち受けていることだろう。極めて多くの課題があることは事実であるが、それでも東アジアの隣人として我々が訪問し、手を差し伸べることで彼らとの距離が縮めることになるなら、その努力は今後とも大いに必要である。それが日本国家として急には出来ない事情があるのであれば、我々沖縄が独自で今回の様に民間団体としてでも努力する姿勢を示す意義は非常に大きいと考える。

 なお曲折があるろうが時は「世紀末」、時代を動かす時計は間違いなく回り初めている。今回の訪問が二十一世紀の「琉球」と「朝鮮半島」を結ぶ信頼の一助になることを切に願っている。(「観光とけいざい」2000年5月合併号)


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