監修 高岡善成   松田清 編

徳之島先駆者の記録

1999

徳之島の先人を偲ぶ会 発行


WEB版の構成

出版された書籍のテキストをそのまま掲載したものです。
tokunoshima01.html(53Kこのページ)に「はじめに」「目次」「あとがき」を収録。
tokunoshima02.html(75K)に本文の前半の51人を
tokunoshima03.html(75K)に本文後半の52人の記述があります。
また、南日本新聞の提供記事・紙面「かごしま人紀行」が資料として書籍に複写収録してあり、その紙面をそのまま
tokuhito01.gif〜tokuhito37.gifの37枚(1枚170K程度)の画像データに直して収録してあります。

はじめに

 私も二〇〇〇年七月には満八〇歳になる。ここらで徳之島を一度ふり返ってみたいと考えていた。一九三五年(昭和十年)亀津の小学校卒業後、鹿児島、東京での学生生活や軍隊生活を体験して今日に到った。亀津だけ、鹿児島だけ、東京だけと言う生活体験者にくらべて私は多方面の郷土出身先輩に接する機会が多かったように思っている。

 「南日本新聞」(本社鹿児島市)が今日的視点で市町村別に「かごしま人紀行」を連載しており徳之島三町の人物紹介も行われた。それがきっかけとなって日頃親しくしている「道之島通信」主幹で 先人を偲ぶ会の事務局長もしている松田清さんの助言を得て亀津を中心とした私の目と徳之島を大きく掴んだ松田さんの目で徳之島の先駆者の記録をおさらいしてみた。

 人物は多面体であり、その人が何をなしたかについて見る角度によって放つ光が異なる。受け取る側もまた多面体であれば人によって強烈に、か弱にも反映することは日常私達の経験するところで ある。

 この記録は、松田さんが二十数年に及んで収集した資料と私の体験記録を中心にまとめた。故人については遺族が積極的に資料を提供して頂いた。まだ資料収集中の先人も多く二集、三集で追加補強したい。営利出版でない初の先駆者の記録でもあります。徳之島の貴重な遺産としてこの記録がより充実されて行くことを期待しています。

 なお人物資料として「かごしま人紀行」の転載をお認め下さった南日本新聞関係者に感謝申し上げます。

思い出の先人達

 幼い頃から聞いていた幻の人、盛島角房については「南海日日新聞」(平成十年一月一日)が特集を試みました。岩波書店発行、森久男訳『徳王自伝』や『徳之島郷土研究会会報』にも記録が出ました。

 その昔、奥山八郎先輩の玄関に、徳王の書いた額が飾られて居たことが思い出されます。級友の角房が徳王と共に日本に来た時に贈られたものでした。なんとか資金を作り角房と大陸で行動を共にした同僚の手記「盛島角房翁伝」(松田清所蔵)を復刻したいものです。川浪知熊、のこと。先人は、戦争中、奥多摩の日原から氷川まで数キロの区間にロープウェイを建設していた。戦争遂行には鉄が必要であるがその製鉄に石灰岩が不可欠とあって奥多摩の石灰岩輸送力アップのためのものでした。

 私は地質研究で奥多摩の山々を歩き回っていて先人を知るようになった。神戸六甲山のロープウェイは、国産第一号機でありこの設計者も川浪知熊であることは知られていない。その時代の苦心話 に私はすごく感動したものでした。

 戦後は、中央大学教授の福沢寛さんと二人で先人に誘われて甲府の石和温泉開発に参加した。不発に終わった片瀬江ノ島の空中ケーブルについて地質的な助言をした事もあった。箱根のロープウェ イも先人の設計と言う。

 数年前、私は百万ドルの夜景を誇る北海道函館山のケーブルカーに乗り先人を偲んだ。この設計者も川浪知熊である事は知られていない。先人は、現在、あきるの市の寺の墓地で静かに眠っている。 松田さんと二人で墓参りをして昔日を偲んだ。

 徳武義兄弟のこと。特に武義は、私の義兄(関西在)竹広とは京都大学時代の同僚で、地塩会のメンバーであった八王子の多摩少年院長時代、当時としては珍しい黒塗りの公用車で私の家まで来ら れた。

 院児の作った縫いぐるみの犬を子供達に土産として下さり家族からも親しまれていた。クリスチャン弁護士の安田重雄先人同様あまり知られていない。上村清延、奥山八郎先人など共々今回の記録 に収録出来たことは良かったと思っている。

時代は変わった

 往時の先駆者は、現代に比べて窓口が限られていたように思う。今は島のルネッサンス(文芸復興)時代でもあり活躍する分野の幅が広く奥行きも深い。南日本新聞の報道はそれを良く物語ってい る。

 時代は変わった。郷里とは電話一本で繋がり、飛行機で一跳びして故郷を見て来ることが出来る時代だ。郷里に対する思いも変わって来た。私が上京した一九四〇年(昭和十五年)頃は、島から鹿 児島へ船で、鹿児島から門司へ汽車で、門司で連絡船に乗換えまた汽車に乗って東京に着く頃は、煤煙で鼻が真っ黒になり目が真っ赤になった。全財産を柳行李に詰め乗換えの度毎にそれを担いで走 るのだから肉体的疲労も大変なものであった。

 先人達は、私の時代よりもっと苦労が多かったことだろう。書き残しておきたい、振り返っておきたいと思うのはやはり年を取ったと言う事だろうか。思い付くままを述べて監修者の言葉とします。

一九九九年十一月
徳之島の先人を偲ぶ会世話人代表
理学博士 高岡善成

徳之島先駆者の記録目次


(あ)

旭 福泉
浅松宮啓
浅松啓良
東 博志
東 喜望
新 天嶺
石井清吉
伊集田實
泉重千代
泉 芳郎
系 正敏
稲村武明
稲村明喜
乾純之助
内山尚忠
大保富哉
岡村千代
奥山八郎

(か)

勝 友武
勝 元清
桂  稔
角島直門
叶 實統
川浪知熊
川村直岡
神田善一郎
上村清延
喜島喜輝
窪田喜忠
後醒院良季
小林三郎
小林正秀
小沼大平
是枝孝太郎

(さ)

坂井友直
坂井和夫
榮 義之
作井 満
重武克彦
重田為良
重乃 皓
重村一郎

(た)

平福世喜
平 利文
平 雅之
竹内良友
武原嘉豊
龍野定一
龍野忠久
田村佐衛源
為山道則
豊山八郎
時 直薫
土岐直家
徳 三宝
徳 憲義
徳 武義
徳田 基
徳富重成

(な)

直江光良
永井円信
納 武津
     

(は)

八波むとし
浜口虎英
林 元俊
林 為良
久留義郷
肥後吉次
肥後憲一
平山源宝
福沢 寛
福島常徳
福田正明
堀江元文二
北郷 薫
     

(ま)

  前安
前田長英
前田村清
前田好美
松夫佐江
松永宮生
松原正晃
松田安輝
益田哲夫
丸野織之介
南 元静
南義祐喜
嶺山時善
嶺山嶺文
三原明夫
宮内文七
美山幸熊
村田助吉
盛島角房
森山徳十

(や)

安田重雄
山 徳峯
山田酉吉
吉満義忠信
吉満義彦
米川文敏
米倉アサノ
米田 正雄

あとがき

 さつま芋を常食に裸足で野山を駆け巡っていた徳之島の少年が、向学の志に燃え海上交通の難所である七島灘の激浪を越えて本土に渡り始めたのは、一九〇〇年代に入ってからであった。

 島ぐちから標準語へ、厳冬と空腹におびえながら、大和人に負けてたまるか「学若しならずんば死すとも還らじ」という詩を口ずさみながら頑張った。「折角、大学に入学したが授業料が払えず、毎 日の空腹に耐え兼ねて校門で男泣きした」との日記を残した先人もいた。就職のため本土に来た少年たちも、島ぐちのなまりを笑われながら歯を食いしばって技術習得に努力した。

 戦争中、徳之島は最前戦基地となり、軍部への奉仕活動を強制された。折角、戦争が終わっても島は、異民族の支配を八年間も受けた。島と島民の受けた被害は莫大な物であったが国のためと称し て何等補償されなかった。

 このような苦難の歴史の中でも、島の文化を守り、産業を発展させ本土並の生活改善を目指し自己の犠牲を顧みず先頭に立って奮闘した先人もいた。本土に渡った島民たちも島を忘れることはなく 後に続く後輩の面倒を見た。それぞれの分野で先駆的な活動記録を残している。

 徳之島が生んだ著名な教育家龍野定一は、人間について「どれだけ巨万の蓄財したとか、どんな高官になったかではなく、その人が何をしたかと言う点から評価すべきである」と説いている。

 数多くの業績を残し島と社会に貢献した先人でも、伝承や記録は、五〇年も経過すると消えてしまう。今のうちに証言や記録をまとめ後世に残さない限り、学ぶべき先人の足跡は消えてしまう事を 案じ高岡善成博士と相談してこの資料をまとめてみた。

 藩政時代にさかのぼり先駆者の記録が少しでも発掘出来たら、島で生まれた人々が二一世紀を生きる糧ともなることだろう。過去を知らず未来を語る愚かさは歴史的に立証されており、先駆者を生 んだルーツを含め一人でも多くの先人の記録が第二集以降に収録され、国立国会図書館に納本され、永久保存と一般公開されることを念じています。

 数多くの資料提供者に厚くお礼を申し上げます。お気付きの点はご指摘下さい。

一九九九年十一月
ルーツ研究会、道之島通信社
代表 松田 清

■題字高岡善成


徳之島先駆者の記録
1999年12月15日発行
発行所 徳之島の先人を偲ぶ会
世話人 高岡善成 重田為良 松田清
〒191-0052 道之島通信社内
日野市東豊田3-11-7-302
電話・FAX 042-584-3545

《資料》かごしま人紀行目次
(南日本新聞連載)


天城町

朝木祥二郎
伊地知範
稲村勝太郎
稲村公望
上松康彦
大吉敬義
岡村賢二
加田久美子
熊山マサ
寿富一郎
島 利重
寿山嘉一郎
宝 富元
武原勝也
武原安行
常 常秀
鶴芙美枝
禎 久隆
禎村良信
土岐直道
富山繁雑
豊蔵 一
中原時秀
中山岩雄
仁科徳一郎
西見健吉
新田武彦
野村秀亮
浜田敬助
久松英保
平岡幸治
藤山恵三
文田哲雄
麓 長吉
北郷勲夫
益満友忠
松村省三
宮田益明
村上和彦
盛岡平作
森田信良
山田長満
雪山渥美
若山光秀
 

伊仙町

池田信明
泉 信喬
泉 正夫
伊田耕三
市村彦二
系 光家
大竹精一
奥田隆一
樺山資敏
川本栄昇
義 憲和
栄 陽子
茂山忠茂
島岡 稔
平 哲治
田中和枝
寛山成男
穂積重信
正 重明
正 吉男
松岡一二
松田 清
三上絢子
宮トオル
行 太市
横田捷宏
義原ミヤ子
米倉正弘
   

徳之島町

東 忠則
碇山俊光
板垣勇弼
一ノ矢充
稲富 進
指宿清秀
指宿良彦
浦上洋子
衛村達人
圓 吉夫
岡田 猛
川上南溟
川上 昇
加川徹夫
紀野宏繁
旭道山和泰
木村寿行
里嘉千茂
里 達雄
高岡善成
保 直次
徳田虎雄
徳田昌則
中山建男
永吉浩次
永吉輝彦
名城秀時
西  功
八波一起
治井文茂
治井秀喜
深林太計志
福田喜和道
太孝一郎
前田信一
前田政為
牧野三佐男
町田 進
松村圭三
松本幸雄
松山光秀
水野 修
元井達郎
矢沢一翠
 

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