沖縄観光30年史■連載8
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


アロハシャツの戦略 ハワイのキビ刈り労働者からヒント

 沖縄観光の発展に尽くした先輩達は知恵を絞った。名護の湖城さん、那覇の平良さん、観光連盟で頑張った宮里定三さん、東良恒さん、航空会社、旅行社の人々。

 これらの先輩達はつねに「沖縄観光の戦略と戦術」を練っていた。簡単に言うと「戦略」とは「考え方」のことであり、「戦術」とは「やり方」とおもえばいい。都ホテルの小林専務がいったように「明るいロビー」「広いロビー」は「戦術と戦略」を具体的に現している。

 観光連盟を引っ張ってきた宮里定三さんは戦略と戦術を重視した一人だった。

 宮里さんに聞いた。

 「沖縄観光にとって大事なのは」

 「旅とは変化価値を求めることだと思う」

 「では、変化価値を求める中で最も有用なことは」

 「宿泊、旅行社、航空会社だと思う」つづけて「この3要素の中で旅行社と航空会社は沖縄には手がつけられらないが、宿泊所は何とか出来る。できることから始めよう」

 若い頃日本交通公社に勤め、旅行社の役割の重大さを知った。

 戦争で沖縄中が瓦礫の中にあったとき、アメリカを視察して米国の実力を思い知らされた。アメリカ大陸を移動中に考えた。狭い沖縄、資源もない沖縄でこれから県民は何で食べていけばいいのか。全米の人達が一度は行ってみたい思うサンフランシスコはフィシャーマンズワーフ、人々を乗せて走る路面電車ケーブルカー、全米一のハーバーブリッジ、静かなたたずまいのサンフランシスコ湾を みた。最後にハワイへ着いた。大陸からジェット機で約六時間、そこには南国の光景が広がっていた。快適なホテル、ハワイアンミュージック、椰子の木、熱帯の花々、優しい人々、おいしい料理、からっとして気持ちのいい気候、白いビーチ。宮里はハワイに魅了された。

 「こんなすばらしいところがあるのか」

 同時に

「資源がなくてもハワイのように観光で世界一になれる」

 と感じた。

「そうだ。沖縄は東洋のハワイになれる」

 帰りの飛行機の座席でそうまとめた。だが、

「ハワイに似ている沖縄に欠けているのは何か」

 その反省もあった。

 「雰囲気だろう。まず雰囲気をつくらなければ…」

 椰子の木、音楽、ホテル、一年中晴れたた天気、どれも今すぐ出来る物ではない。一つだけ思い当たるものがあった。アロハシャツである。

 アロハシャツを作って男はシャツ、女性はムームーを着たら、外来者は「沖縄に来た」と実感するのではないか。人々がアロハシャツを着たら、沖縄中、色とりどりのシャツで街中の人々に花が咲いたようにはなやかになる。花が歩くのだ。本土ではアロハシャツの人気はあっても着て歩くのはどうも、と思うのではないか。だが日本人には「あってはならないことだが、旅の恥は掻き捨てという 意識がある。自分の町ではアロハシャツは着なくても沖縄ではきてあるくのではないか。沖縄で簡単に出来るはアロハシャツがいいのではないか」

■指宿のアロハ

 この考えに似た構想を立てた町がお隣の鹿児島県で進行していた。指宿である。ここでは夏はアロハシャツを着るうようになっている。いかめしいお巡りさんもお役人もアロハシャツを着て、町中がアロハシャツ一色となる。明るい町の雰囲気、開放感、指宿という観光地に来たという実感に包まれる。

 実はハワイのアロハシャツは現地日本人の服装がヒントに生まれたのである。

 アロハシャツのヒントは何のことはない、日本人きび刈り労働者の作業着だったのだ。だが、いいのは地元の人に愛され、利用され、活用される。誰が思いついたかは関係ない。

 宮里はジェット機のシートの中に深く沈んだ。エンジンのゴウゴウという音と窓外の真っ白な雲が乗客のストレスを溶かしていく。新鮮なアイデアが浮かんでくる。

 「そうだ、アロハシャツなら常夏のオキナワにぴったりではないか」

 こうして「沖縄ウエア」が誕生した。今のかりゆしウエアである。県民全員が着ると「いらっしゃいませ」と口では言わなくても「態度でなく、シャツが示す事になる」。 (「観光とけいざい」第618号02年8月15日号)  


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