沖縄観光30年史■連載9
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


南国宮崎と沖縄の光と影 空港整備遅れ、大型機離発着できず

 宮崎県の観光黄金時代は沖縄が本土復帰するまでの約十年間である。

 昭和三十年代後半から四十年代にかけて宮崎県は「南国宮崎」を合い言葉に全国に観光宮崎を売り込んだ。有名な宮崎交通の社長で宮崎県観光連盟会長の岩切氏は「自然の美、人工の美、人情の美」の三美を強調していた。

 新婚旅行のメッカと呼ばれ、全国的に宮崎観光が注目を集めた。そこへ沖縄の復帰である。新しい物好きの観光客はどっと沖縄へ押し寄せた。それまで米軍占領下の沖縄へ戦績巡拝で訪れていた人達はパスポート無しで自由に行き来できるとあって一斉に沖縄へ行きだしたのである。流れは変わった。

 「観光客を満載した飛行機が宮崎の上空を飛んで沖縄へいく」と宮崎の観光関係者を嘆かせたものである。

 だが、この言葉は本質を衝いたものではなかった。「南国宮崎」は本当の南国、「沖縄」が自由に行き来できると「死語」になってしまう。いつまでも「南国」というわけにはいかないのだ。

 さらに悪い事があった。宮崎空港が整備されず、大型機が離発着できない。大型ジェット機は着陸できない宮崎の上空を通過して南国沖縄を目指して飛んでいったのである。

 宮崎はライバル沖縄の登場で大きなショックを受けた。

 宮崎の弱点は大型の航空機が離発着出きる飛行場がなかったことである。これに対して沖縄の空港は大型のジャンボジェット機が離発着出来た。四百人を乗せた大型機はコストも低減出きる。加えて我が国唯一の亜熱帯の「沖縄」という地域である。

 人々は初めてみる沖縄に大きな興味を持った。こうして観光沖縄が一躍脚光をあびたのである。沖縄を訪れた観光客は鮮やかな色彩と文化に驚いた。降り注ぐ強烈な太陽が待っていた。本土の柔らかい陽の光とは断然違う。肌を刺し、地面を焼き尽くすかのような強烈な太陽に人々は驚いた。また、この土地に根付いた文化の数々である。染め織り、飲食物、植物、焼き物、歌、踊り、言葉、全てが本土と異なって いる。これらが魅力の琉球だった。

 宮崎県は沖縄に負けじと空港の整備に乗りだした。だが、大型機の使用できる空港が完成するまで沖縄観光の独走を許す結果になった。

 空港に関していうとアジアの国々、韓国、中国は共に四千メートル級の大きな空港を持っており、着々と国際観光に備えている。

 沖縄の那覇空港は近く限界に近づくという報告があり、県も国も現在の滑走路のほかにもう一本滑走路が必要だとしている。この滑走路は現空港の沖合に展開する構想で、国場幸太郎さんがお元気なときに主張されておられた。

 現滑走路の沖合に三千メートルの滑走路を造ろうというのである。滑走路を建設するのに一〇年はかかるので、一〇年後を見据えて今のうちに決定しておかないといけない。

 石垣の空港が一〇年しても建設位置が決まらず、立ち往生していることをみると那覇空港の沖合展開は反対は無いと思う。ただ、決定が遅れると後が詰まってしまう。どうしても今度の決定に入れてもらわないと沖縄観光の停滞に繋がる。

 年内には決定すると言われているだけに観光業界はもとより、県民が一丸となって政府に訴えることが大事なことであろう。 (「観光とけいざい」第618号02年9月1日号)  


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