沖縄観光30年史■連載10
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


ちゅら島美化条例がスタート ゴミとは拾うものなり

 沖縄県は「ちゅら島環境美化条例」を公布、清潔な島づくりへ踏み出した。この条例は今年の七月からの施行である。当面、空き缶、空き瓶、たばこの吸い殻、ガムのポイ捨てを無くすこと。捨てない、捨てさせない、守礼の心でちゅら島を実現。屋外のゴミ捨ては原則持ち帰りの徹底。出来るところから環境美化の取り組み、を呼びかけている。

 戦前、沖縄は清潔な島だった。私は首里で育ったが、きれいな町だった。龍潭池周辺、首里城の付近、守礼門のそば、いずれもきれいに清掃され、清潔そのものだった。だれが掃除していたのだろう。戦争は県民の清潔の心まで吹き飛ばしてしまったようだ。

 沖縄ツーリストの故・東良恒社長はシンガポールのリ・クアン・ユー首相が「清潔政策」を打ち出し、「アジアで一番美しい都市」を目指した。このとき「沖縄も負けてはいけない。皆でシンガポールのやり方を視察したらどうか」と観光客を送り出す側の立場から強調したことがある。

 亡くなった宮里定三さんは「受ける側」の立場から、「クリーン、グリーン、グレイシャス」を提唱したことがある。この声はいつのまにか、立ち消えになってしまった。

 東南植物楽園の李園長と話したときのこと。

 「渡久地さん、うちは園内の清掃に力を入れています。そのために清掃担当者を雇っています」

 確かに園内は美しく、清潔にたもたれている。

 東京ディズニーランドがオープンしてまもなく、見物に出かけたことがある。園内はゴミひとつなく清潔そのものである。何気なくたばこの吸い殻を足下にすてて、もみ消したら、ほうきとちりとりを持った男の子が走ってきてたばこの吸い殻を拾った。

 「すまないね」

 「いえ、吸い殻入れは向こうにあります」指さす所を見ると、ちゃんと喫煙所があり、吸い殻入れも用意されている。清潔を保つための環境が整っているのである。

 亡くなったジャズプレイヤーのジミー田中さんは東京の下町の育ちといっていた。その田中さんがこんな事を言っていた。

 「渡久地さん、ゴミとはなんですか、沖縄はどこに行ってもゴミがいっぱいですね」

 「……」

 「ゴミとは拾うものなんです。皆が拾う意識を持てばすぐにきれいになりますよ。捨てる人はいなくなります」

 東京デイズニーランドで経験をしたばかりだったから妙に説得力があった。

 県の観光局長をつとめた仲里全輝さんの話。出張からかえって那覇空港からタクシーに乗った。運転手が窓を開けてたばこの吸い殻をぽい。目ざとく見つけた仲里さんが

 「運転手さん、ポイ捨てはよくないね。私はこんなものだが」と名刺を出して

 「皆がポイ捨てしたら那覇の町は汚くなる。外から来る観光客のイメージも悪くなる。いけないね」

運転手「………」

 「何なら私のポケットネーで灰皿を買ってあげようか」

運転手「………」

 東南アジアのある地域の人の話。

 「那覇の町はきれいですね。チリ一つ落ちていない」

 「うちのところは汚い。政府が怠けている。税金をなにに使っているのだろう」

 「はあ?」

 「いや私のところでは町をきれいにするのは役人の仕事です」

 するとその地域では、つばをはいたり、チリを捨てるのは住民で、その後始末は役所の仕事か。それではいつまでも生活環境がよくならない。

 沖縄は「美化条例」が出来るのが少し遅かったが、これから一生懸命やれば、なんとかなる。それにしてもCGG運動の立ち消えはどう考えればいいのか。やはり条例をつくらないと、だめだというというのだろうか。県民のやる気とか、盛り上がる運動はだめだろうか。

 条例のスタートでいろいろなことを考える。 (「観光とけいざい」第620号02年9月15日号)  


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