沖縄観光30年史■連載14
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


大型団体・月の友(上)

 沖縄の本格的な団体旅行の幕開けは一万二千名という大型団体「月の友」だった。

 この大型団体は毎日貸し切りバス六台という当時では考えられない大型だった。それまで団体とは、家族連れか、友人同士、戦跡巡拝で訪れるいわばグループを指していた。月の友の団体は玉村会長以下、全国各県の代表者達で構成され、リーダーと呼ばれていた。金回りもよかった。月の友とは、寝具を売る全国組織である。

■復帰後第一号

 昭和六十三年五月十五日の沖縄の本土復帰を挟んで一ヶ月間、沖縄に来た。沖縄の観光事業者に「団体」の醍醐味を覚えさせた。個人と違って、団体はまとめて料金の支払いを受けられ、世話も団体でまとめて出来る。

 送り出しは近畿日本ツーリスト、沖縄を代表して受けに専心したのは当時、近ツーの代理店だった地元の沖縄ツーリストだった。当時の総責任者だった仲村源照氏(沖縄ツーリスト専務・エアーエキスプレス社長)は三十年前の月の友観光団にについて次のように語る。

■キャッスルテラスクラブ

 一万二千名という大型団体は沖縄ツーリストだから出来たのだ。紙に宿泊とバスのリストを書き、受けてくれるところは赤、出来ないところはペケをツケて作戦を立てた。

 一日にバス六台というのは初め誰も信用しなかった。「絶対に大丈夫」と説得してやっとバスとホテルは確保出来た。実際、来てみると一人も欠けることなく、ばっちり来た。支払いは毎週だった。

 問題は毎日三百人を一度に収容し、食事を提供するレストランだった。弁当も考えたが一万二千名分の弁当ではあまりに「能」がない。

 第一、お客さんが喜ばない。「暖かいご飯を出し、お客さんが喜んで食べて下さるところはないか」考え抜いた末、思いついたのが米軍だった。

 「この団体の成功は毎日食事を提供出来るかどうかにかかっている。そうだ、米軍なら、何とかなる。しかし、すぐにうんといって聞いてくれるはずはない。じっくり考えて断られないようにしよう」。そこで、米軍施設はどこか、あれこれ考えた。

 「あった」

 キャンプ桑江の将校クラブ、キャッスルテラスだ。早速出かけていった。ガードマンは通そうとしない。責任者は大佐だ。

 「ええい、当たって砕けろだ」

 ガードマンが話してていた電話をひったくるように取って名乗った。

 「何の用事か」

 「あなたに地元を代表して相談がある。用件は会ってから話したい」

 「そうか、話を聞こう。ガードマンに代わってくれ」

 ガードマンは大佐の命令で渋々通してくれた。大佐に会うと、私はいった。

 「我々は日本から一万二千名の観光客の送客注文を受けている。だが、沖縄にはこの団体に食事を提供出来る施設がない。大変困っている。協力してくれ。沖縄米軍は日本の平和と安全のためにいる。この駐留は極東全体、ひいては世界平和のためである。日本人に沖縄米軍の存在の意味を知ってもらういい機会ではないか。食事をしながら米軍の説明をしたらいいと思う」

 「同感だ。日本人は米軍が平和に貢献していることを良く知らない」

 「だから、説明して理解してもらういい機会になる。ついては是非キャッスルテラスで昼食を提供していただきたい」

 「分かった。しかしこのクラブでも一度に三百名は収容出来ない。ほかの将校にも昼食を出さないといけないからだ。那覇にあるハーバービュークラブはどうか、あそこも私の管理下にある」(現在のハーバービューホテル)。

 こうして食事の問題は解決した。両方とも昼は将校達の食事に使うが夜はナイトクラブに変わり、将校の家族が夕食後に音楽やダンスを楽しむ。ハーバービュークラブには現金が出るスロットマシンもあり、地元の会員も自由に出入りして米国の雰囲気に浸れる。高等弁務官はここに琉米の政財界人、マスコを招いて施政方針を明らかにする米軍施政の殿堂だった。 (「観光とけいざい」第624号02年11月15日号)  


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