沖縄観光30年史■連載15
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


大型団体・月の友(下)

■米軍楽隊がマーチで歓迎

 沖縄の本格的な団体旅行の幕開けは一万二千名という大型団体「月の友」だった。

 この大型団体は毎日貸し切りバス六台という当時では考えられない大型だった。それまで団体とは、家族連れか、友人同士、戦跡巡拝で訪れるいわばグループを指していた。月の友の団体は玉村会長以下、全国各県の代表者達で構成され、リーダーと呼ばれていた。金回りもよかった。月の友とは、寝具を売る全国組織である。

■厚いステーキ、コーラにビックリ

 キャッスル・テラスクラブの責任者は紳士だった。バス乗り場から玄関までの道の両側に米軍のブラスバンドを整列させ華やかに米国の音楽を演奏させた。

 いかめしい「天皇陛下の軍隊」しか知らない日本人もこれにはびっくりする。

 さらに客がおどろいたのは厚さ三センチ、大きさはウチワ程もある大きなステーキだった。これをナイフとフォークで食べるのだから初めての人は面食らった。男の人には米国産のビール、女性には日本ではまだ紹介されていないコカコーラが飲み放題だった。

 これだけで腹一杯というアイスクリーム、十セントの米国産のたばこが自由に買えるとあって日本人にはちょっとした外国旅行気分だった。

 これが評判を呼び、土産を持参するようになった。たとえば博多人形とか、京都の友禅とか、北海道の木彫りの熊とか、その土地土地の名物をもってくるようになった。ちょっとした日米親善行事だった。

 テラスクラブの責任者達は喜んだ。サービスにも一層力が入る。

 こうして復帰を挟んで行われた月の友の沖縄旅行は大成功のうちに終わった。

 この後、日本中をわかせる出来事が沖縄から日本中に発信される。

 一つは本部町の国際海洋博覧会であり、今ひとつはテレビから流れてきた「かんむりワシ」である。

 海洋博覧会は文字通り、観光沖縄を日本中に知らしめた。青い海、青い空、ホスピタリティだった。、かんむりわしこと、ボクシングフライ級世界チャンピオンの具志堅用高、それに沖縄ホテル社長の故宮里定三氏、いやもう一人、早稲田大学総長の故大浜信泉氏がいた。(「観光とけいざい」第625号02年12月合併号)  


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