沖縄観光30年史■連載16
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


沖縄国際海洋博覧会

■早稲田の大浜総長とボクシングの具志堅用高

 沖縄国際海洋博覧会が開かれたとき直接関係する観光業界では沖縄県観光連盟が受け入れに奔走、中心となっていた。

 東京では早稲田大学総長の大浜信泉氏が政府と沖縄のまとめ役となって活躍していた。

 観光連盟の宮里定三会長は「三日に空けず、飛行機に乗っているよ」ともらしていた。飛行機で東京に行き、打ち合わせしていたという意味である。

 大浜信泉氏は早稲田大学の総長というバックで政府に、沖縄の声ををぶつけた。

 このお二人の陰の力で海洋博は成功したといっていい。

 会場は本部町か読谷村か論議されたが、どうして本部町になったか、理由は明らかにされなかった。

 表だった理由は言われたが、そのまま受け取る人はいなかった。本部町に決まったことで本土から会場作りの土建屋さんがどっとおし寄せた。中には仕事が終わっても帰らず、居残って沖縄で暮らした人もいる。

 大浜氏は石垣の出身で石垣市には大浜信泉記念館がある。

 大浜氏同様に石垣市の誇りとなっているのはかんむりワシの具志堅用高氏である。

 具志堅氏は海洋博より早く活躍した人で、チャンピオンの座を譲ってから、ある席で具志堅氏に会った。そのとき彼の右手を握ってみた。世界中の強豪をたたきのめした右腕はさぞかし石のように堅いだろうとおもったのである。彼は何の躊躇もなく、右手をだしたが、その手は女の子の手のようにやわらかい。

 「石のように堅い拳だと思いましたが、柔らかいんですね」というと彼は笑いながら、例の甲高い声で「いやKOに必要なのはタイミングとスナップですよ」といった。

 チャンピオンになったとき、テレビのアナウンサーがインタビューして「石垣の実家のお仕事は」と聞いたとき、そばで助言をしていた人が具志堅の「親父は海あっちゃーです」といったのに対して「海を歩く」と直訳した。アナウンサーはびっくりして曰く「沖縄では海を歩くのですか」。

 これには回りをとりかこんでいる人たちは大笑い。沖縄では「海あっちゃー」といえば漁師。ハル(畑)アッチャーを農業ということをしらなかったのである。(念のため。アッチヤーというのは日本語で歩く人の意味、従って海アッチャーは海を歩く人になる)

 その具志堅氏と大浜氏が揃って石垣の出身というのも面白い。 (「観光とけいざい」第626号03年1月1日号)  


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