沖縄観光30年史■連載17
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


海洋博とテロ事件

 米国のテロ事件で沖縄観光の落ち込みが大きなショックを与えた。これと似た落ち込みが二十五年前にあった。観光関係者なら忘れられない、「海洋博落ち込み」である。

 海洋博は昭和五十年七月二十日から「海、その望ましい未来」をテーマに本部町で開いた。五十一年一月十八日までの百八十三日間に三十六の参加国と三つの国際機関が集い、国際的な行事となった。その結果、五十一年の観光客は百五十五万人を突破した。しかし翌五十一年には八十三万六千余人と半減した。海洋博前年の四十九年のレベルにおちたのである。

 ここで当時の沖縄県観光連盟が立ち上がった。宮里定三氏率いる観光連盟は「沖縄観光危機突破大会」を開く一方、全国各地に誘客宣伝隊を繰り出し、黒砂糖を配り、沖縄を訴えた。同時に旅行社を歴訪して沖縄送客の宣伝をした。効果は現れ五十二年には百二十万人、五十三年には百五十万人と毎年増え続けた。

 そして米国のテロ事件が発生する。その年の入域客は四百四十三万三千四百人で、前年より八万七千八百人の減少となった。減少の主な要因について平成三年度版の観光要覧(発行・沖縄県、編集 商工労働部観光リゾート局観光企画課)は次のように分析する。

 入域観光客数の主な減少要因となった修学旅行を中心とするキャンセルについては、米国で発生した同時多発テロ事件の影響により、航空機利用による旅行が控えられたことや、沖縄の米軍基地について一部マスコミ等の過剰な反応による不確定な情報や風評がひろまったこと、さらに一部都道府県の教育委員会が沖縄への修学旅行に対して注意を促す文書を出したこと等がその主な要因と考えられる。

 旅行・航空産業のトップが立ち上がり、国は特別な予算を組んだ。沖縄公庫は県内企業に低利の緊急融資を行った。県と沖縄観光コンベンションビューローは「行こうよ、おいでよ、大丈夫さぁ〜沖縄」「RE沖縄」キャンペーンを繰り広げ、全国の主な都市で沖縄の青年達による「エイサー道ジュネー」を披露した。県ホテル組合は県民一泊運動を展開した。これらの業界、県民ぐるみのキャンペーンが奏効してテロの落ち込みを最小限にくいとめた。平成十三年の観光入域客は過去最高の三百八十三万人を突破した。

 稲嶺知事は一月十七日、過去最高の四百八十三万四千五百人にのぼったことを発表した。沖縄タイムスの夕刊はこのことを一面トップで報道した。稲嶺知事は伸びた要因として「業界の努力や国の支援、全国からの支援ツアー等があった」ことをあげた。

 県内の新聞が入域観光客の数字を一面トップで報じたのははじめてである。今年の目標を五百万人に設定したが、稲嶺知事は「魅力ある商品がつくり出せるか、沖縄側のチエと努力が求められる」と述べた。(「観光とけいざい」第628号03年2月1日号)  


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