沖縄観光30年史■連載20
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


観光に打ち込んだ2人の先輩

 沖縄ツーリストが創業のころ、ダンスの「ツイスト」が大流行だった。そこで創業者の東良恒氏はこれを利用した。「ダンスはツイスト。旅行はツーリスト」発音がよく似ていたからである。沖縄ツーリストはたちまち県民の認知を得た。

 後は旅行の専門家として団体旅行に個人旅行に大活躍する。

 こんなことがあった。沖縄観光速報社が東南アジアのリゾート地を研究しようと企画し、沖縄ツーリスのとの協力をお願いした。東社長は快く引き受けた。参加したのは県観光リゾート局のほか、県内のリゾート業のリーダーの方々である。

 東社長は「自分が添乗したいがどうしてもはずせない用事がある。宮里副社長に行ってもらうからよろしく」ということになった。

タイ、シンガポール、ジャカルタ、バリ島、台北の各国、各地区の観光事業を視察研究した。

 ジャカルタ空港でのことである。ごったがえしていたが窓口の担当者は「あなたの団体の名簿はコンピューターにありません。従って搭乗は出来ません」という。これには宮里さんも企画者の私も困った。

 「ここら辺ではこういうことはよくあるんですよ」「困りましたね。参加者はほとんど忙しい社長さん方でしょう。日程もありましょうし」と私。「いくらか包んでコンピユーターにのっけましょう、こちらではよくあるんです」「いくらくらいでしょうか」「五十ドルもあればいいじゃないでしょうか」「それくらいなら良いんじゃないですか」

 全員無事搭乗することが出来た。工作がうまくいったのかと思ったが、後で聞くと「コンピユーターにちゃんとありました。工作は必要ありませんでした」。

 このときつくづく添乗員の豊富な経験、決断の善し悪し、チエが旅を左右すると感じた。

 添乗員には「それぞれ適不適がある(連載十七回)」のである。

 旅行社は長い時間をかけて社員を育て、添乗員を育成している。

 機内で「長い旅行社の生活で特に思い出に残ることもあったと思いますが」と聞くと宮里さんは、

 「そうだね、アレは中東だったね」と話し始めた。

 ヨーロッパ旅行の帰途、順調に飛んでいた飛行機が突然、エアポケットに入った。安全ベルトを占めてなかった人、通路を歩いていたスチュワーデスも天井にたたきつけられた。座席のコップ類も天井まで飛んでいった。

 「あのときはお終いだと思ったね。何しろ天井に叩き付けられた人は血を流してうめいていたからね」近くの空港に臨時着陸して負傷者を収容した。

 こんな話はめったに聞けないが旅行社の人の仕事も大変である。

 その宮里さんに聞いた。

 「インターネット時代になって何か変わりましたか」

 「おおいに変わったね。昔は南アメリカ旅行を企画しても現地のデータが来るまで長い時間がかかっていた。ところがコンピユーター時代の今は日本語で必要なデータがすぐ送って来る。便利な世の中になったもんだ」

 沖縄はメディアや旅行業者とのデータや情報のやりとりはどうしているのだろうか。(「観光とけいざい」第631号03年3月15日号)  


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