沖縄観光30年史■連載21
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


理解されていなかった観光の本質

 東、宮里の両氏は沖縄観光の初期に活躍した。東氏はいち早く本土に支社を数多くつくった。東京を始め、大阪など大都市を中心にした。次ぎに中堅の都市に支社を設け、沖縄観光を幅広く売り出した。このとき、本土の大手旅行社は海外旅行のブームで、きそって海外旅行を売ってていたのである。このとき沖縄の旅行社の海外経験がものをいった。沖縄ツーリストも海外経験豊富な旅行社として注目され た。本土の旅行社が来て海外旅行の「ノウハウ」をならいにきたという話も多い。復帰とともに激しい競争にさらされたのも旅行社である。

 沖縄の特殊性とか、米軍基地の存在などが考慮されることなく、激烈な競争にまき込まれていった。

 沖縄に進出した第一号は日本旅行であった。主として宗教団体の本山参りをあつかったのである。次いでJTBが進出した、この時期、沖縄には観光の資料はほとんどなかった。JTBの最初の仕事は資料造りであった。どんな宿舎があり、どんなサービスを提供するか、電話はあるか、から始まった。後に公旅連県支部の基礎になったのである。

 沖縄県も沖縄の物産を引っさげて、各地で沖縄物産展を開いた。県産の物産、亜熱帯特有の景観をパネルや美しい写真で紹介した。だが、何故か旅行社の参加スペースは用意されてなかった。後で東社長は「美味しいにおいだけ振りまいて沖縄旅行に案内する旅行社を外すとはどういうことか」とくやしがった。「旅行社も沖縄の再建のための資金獲得に重要な役目を果たしているのだ」という

 自負がいわせたのである。

 ある日、観光振興をめぐってこんなやりとりをした。

「何故、我々は観光事業を推進するのだろうか」

「……」

「さとうきびだげじゃだめなんだ」

「そうですね。サトウキビに次ぐ世界に向けて胸をはって売り出せるものをつくらないといけない。競争は激しいから、他の国々、地域に負けない、独特のものをうりださないといけません」

「それが観光と言うことですか」

「そうです。私は旅行社を経営して世界各地をみてきましたが、沖縄ほど素晴らしいところはない。自然、物産、気象、心使い、人情、食事、芸能、特産品など揃っている。これらをまとめてPRすれば本土の一億人は飛びつくと思う」

「そんなにだいじなことを何故、やらないのでしょうか」

「観光業界がまだ力不足ということでしょう」

「力不足というのはどういうことですか」

「行政にも、民間の事業者も観光の持つ本質がまだ、良く理解されていないということです」

「どうすればいいのでしょうか」

「県民が観光に対する意識を持つことです。しかしこれには時間がかかります」

「速くするためには」

「マスコミの協力を得ることです」

「その方法は」

「私は旅行業を本業としていますが、どんないい企画を立てても一般に知ってもらわないと意味はない。一般に知ってもらうにはどうしてもマスコミを使わないといけない。マスコミとの相互理解、相互協力を密にすることです」

「そういえば、沖縄ではマスコミとの関係が薄い気がします」

「今後は、あなたを含めマスコミの皆さんと密になれるところが業績を伸ばすと思います」 (「観光とけいざい」第631号03年4月1日号)  


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