沖縄観光30年史■連載23
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


先輩がそっと教えた セールスのコツ

 宮里定三さんは抜群の記憶力と勉強家だった。その上、話がうまかった。ある日、話のコツは何だろうと思い、聞いたことがある。「披露するほどのことはないよ」というのがその答だった。しかし、何度も会ううちにコツらしいのがもれてきた。それは東良恒さんと共通の答で「人の話を良くきくこと」だった。

 セールスマンが陥りやすいのは、自分の持っているものを売ろうと相手のことを考えずにしゃべりまくることである。相手はいやいやながら聞いているか、内心では飽き飽きしているのではないか。むしろ相手がほしがっている話を提供する事がいいのではないか、それを良く聞いてそれに合わせてというのである。沖縄観光で言えば、相手(観光客)が欲しがっているものを出して初めて喜ぶ、というのであった。「そのための研究を常に怠らなければ、繁盛するはずだ」という。

 東さんは例として良くハワイを持ちだしていた。「観光を振興しようと思うならハワイを勉強せよ」とハワイへ飛んだ。

 東さんが口癖のように言う「ハワイ」はホノルル空港に着くと「アローハ」の空気にに包まれる。空港ビルの外に出るとヤシが林立し花咲き乱れ、いかにも南国にきたという雰囲気である。那覇空港が新装なったとき、東さんに「どう思うかね」と聞かれた。「良いんじゃないですか」とありきたりの答えを返すと「せっかく金をかけてつくったのだから、南国沖縄らしい、雰囲気をつくってもら いたかったね」という。

 「どういうことですか」と聞くと「お役人はお金もあるし、時間もある。各地の空港を見て沖縄らしい、空港にしてもらいたかった」。

 ホノルル空港はいかにもアメリカらしい、豪華で親しみやすさがあった。シンガポール、香港にもこのような「アジアにきた」という雰囲気があった。世界の空港にはこうした独特の持ち味がある。ラスベガの空港は搭乗口の近くの壁にスロットマシンが取り付けてあって、飛行機に乗るまでガチャン、ガチャンとやってくださいと言わんばかりなのには驚いた。シンガポール空港は待合室も搭乗 口も緑と花で包まれ、客は長時間のフライトや長時間の搭乗待ちの退屈解消に一役かっていた。

 宮里さんは米国民政府の米国研修旅行でかなり自信を持ったようで、「渡久地君、うまくやればハワイに負けないよ」といった。「うまくとはどういうことですか」と聞くと「それはねえ」と言いかけて急に呼び出しをうけて話は中断した。それっきり、聞く機会がなかったが、宮里さんはこういいたかったのではないかと思った。  沖縄は観光資源ではハワイに負けない。負けているのは、みんな(行政、民間)が観光の重要性を認識してないことだ。観光は沖縄にとって資金を獲得する唯一の事業になる。ハワイを見ればそのことが良くわかる。平和な沖縄を実現するには観光を振興させることだ。

 東さんも同様のことをいってた。創業の頃、東社長、宮里政欣さん(現社長)中村源照さんの三人は夜遅くまで明日の旅行の英語での日程表づくりに励んだ。話も弾み面白いアイデアが次々に出てきた。目玉になったのは当時の那覇劇場での琉球舞踊であり、南部の戦跡であった。この旅行に参加したのは米軍人軍属の家族、若い戦争未経験の駐留米兵たちであった。米兵たちにとって旅行費用は大したことではなかった。琉球舞踊も観光資源になるのである。その舞踊が資源と思ってない。みんなが興味をひいたのは「神社」と「鳥居」であった。その名残が読谷村の米軍トリーステーションにある大きな「鳥居」である。そのつぎに三人のアイデアの中から「香港旅行」とバナナが浮かびあがった。 (「観光とけいざい」第634号03年5月合併号)  


 |  連載24 |  HOME |
本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権は沖縄観光速報社に帰属します。
Copyright (c) 1996 Okinawa Kankou Sokuhousya. No reproduction or republication without permission.