沖縄観光30年史■連載25
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


モンキーバナナ 他社ができないことをやる

 沖縄ツーリストの幹部が話しあったことは、いかにお客さんを満足させるかである。

 米人の方が日本人より金持ちで旅行にも関心が深いと見た。そこで米国人が関心を持つのはどこか探した。候補に台湾と香港が挙がった。すると同じような日程で香港の方が収益がいいことがわかった。直ちに「香港旅行を企画」し募集した。はるばる沖縄まできて、アジアが分からないでは東洋に来た甲斐がないと思ったのか、それともいいチャンスと思ったのか、予想に反して多く集まった。そこで台湾、シンガポールと次々に企画を立てて客を集めた。

 一方で県民はハワイやマニラ、米本土のロス、サンフランシスコなどへ案内した。実績がものをいい、県内では押しも押されもしない旅行社になった。同時に日本本土でも沖縄旅行を募集した。このころになると他の旅行社も沖縄旅行団を募集していた。このとき気がついたのは他社ができないことをやることがコツだということだった。

 ホテルは当時の一流である琉球東急ホテルを使った。大食堂で他社の旅行団体と一緒に食事することになった。そこで沖縄ツーリストは知恵を巡らした。なんとか他社にできないことをやってみたい。他社ができないことで、地元の業者にしかできにこととはなんだろうか、研究の結果、「バナナはどうだ」ということになった。当時、バナナは贅沢品で日本に輸入できない。しかし、沖縄には地元産のバナナがある。早速、担当者が「バナナやーい」とさがしまわった。

 「あった」農家の庭先のバナナの木に「島バナナ」がぶらさがっているではないか。買いたいというと持っていっていいという。早速テーブルの上の皿にバナナを一本乗せた。他の団体客が「なんだろう」という興味のの目でみている。この島バナナは南方産の大きなバナナと違って小さいがあじも香りも変わらない。真っ白い皿のうえに一本小さなバナナが乗っているのもおかしいが、こんな小さなバナナをみたのもはじめてである。

 島バナナはモンキーバナナといって酸味が多く、モチミがある。地元の人はバナナと言えばこの島バナナのことを言っていた。

 客は食後の果物バナナをおいしそうにたべている。他の客はうらやましそうである。このバナナの話が意外にうけた。これをきっかけに「沖縄の旅なら沖縄ツーリスト」という合い言葉がひろがった。

 このことから同社はヒントをえた。客ははじめてみたもの、味わうもの、珍しいものに関心と興味を示す。世界のどこの観光地でもそのとおりだった。そこで各地のめずらしいものをとりあげた。感動と理解がふかまった。社員は旅行社の業務の大事さを汲み取った。客の反響が社員をゆさぶったのである。

 沖縄ホテルでも同様なことが起こっていた。沖縄ホテルの宮里社長は社員を集めて口をすっぱくしていった。「お客さまには親切にしなさい」宮里社長のねらいはこうだった。「お客さまは初めて沖縄を訪問する人が多い。始めての人には親切が一番のごちそうだ。理屈より親切だ」

 二人に共通するのは「お客様第一」である。

 東社長は社員に「電話は三度以上ベルを鳴らすな。二度目には必ずとれ」。

 また「社長あての電話は例え会議中でも取次ぎなさい。諸君は会議中だといって断るが、大事な電話かも知れない。何百万円の取り引きの申し込みかもしれない。そう考えると簡単に会議中だと断れないじゃないか」こうして社員は電話についても細かな神経をつかうようになった。

 共通しているのは独自性の発揮であり、他社にない「特徴を考えろ」ということだった。

 情報を武器に成績をのばした例もある。名古屋のあるホテルでは営業員の受け持ち区域を厳密にわけ、その範囲内の出来事、例えば新社長の就任のときには就任の宴会があるとみてすぐに営業に回る。受け持ちの範囲で起こるもの、情報はすべてカバーする。

 こちらは那覇の日航グランドキャッスル。営業部員を国際通りに派遣し、かれらが土産品店で見た土産物の傾向を元に観光客の好み、売れ筋を調べて客の流れを研究した。沖縄都ホテルの桑原社長は本誌の記事をもとに情報の収集、分析に余念がなかった。本誌への問い合わせもしばしばあった。こうして沖縄観光の初期の頃の先輩達は目に見えぬ企画と情報の勉強を重ねていたのである。

 このころ「東洋のハワイ、沖縄」の合い言葉が流行した。ハワイは米本国と離れており、ちょうど沖縄が日本列島のはずれにあり、ハワイ同様の「王国」だった。歴史、地理上の似通った境遇がハワイを想起させたのかも知れない。この自然条件は沖縄観光の優れた点の一つである。

 沖縄でもっとも大きなスーパーを一代で築きあげ堅実経営している折田社長はこう漏らした「渡久地君、沖縄は観光に力をいれないといけないよ。何しろ一億人のマーケットを抱えているからね。航空会社も全国の旅行会社も沖縄に注目している。百万人の消費者を相手にする小売り業よりずっといい」

 自身で恩納村のビーチを開発しようとしたが志し半ばで亡くなった。(「観光とけいざい」第636号03年6月15日)  


 |  連載26 |  HOME |
本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権は沖縄観光速報社に帰属します。
Copyright (c) 1996 Okinawa Kankou Sokuhousya. No reproduction or republication without permission.