沖縄観光30年史■連載48
渡久地政夫(沖縄観光速報社・代表取締役)


中国、アメリカの文化 入り交じってユニークな沖縄観光

 情報は本土の方に効果的にいっているのだろうか。他の観光地はどのように情報を提供しているのだろうか。観光地にとって実は観光情報を提供することは一般の会社がやっているような「営業」行為にも匹敵する重要なことである。特に沖縄のようにマーケットから離れたところでは、情報提供を軽視するといけない。もう一度、沖縄観光の流通経路を研究する必要がある。

 情報提供といえば新聞・雑誌、パンフレット、ポスター、口コミなどである。最近はこれらにコンピュータが加わった。

 いずれもその底に流れるのは変わったコト、変わったモノの紹介である。媒体が発達するにつけ、競争がはげしくなり、あんまり変わった物でない、普通のものでも取り上げるようになった。一言でいうと「体験」である。

 沖縄は「自然が目玉」である。

 「亜熱帯の気象」亜熱帯の「景観」わりやすくいうと「青い海」「青い空」である。このキャッチフレーズを考え出した人は素晴らしい。沖縄の特質をいいあらわしている。なんといっても沖縄の特徴は海のすばらしさである。ほかにも海の素晴らしいところはあるが、なにせ航空運賃が高い。沖縄は東京から往復六万円だ。例えば、ハワイだと航空運賃は倍もする。簡単に行けない。沖縄だと何と か頑張って航空運賃を工面すれば、すばらしい海が目の前に現れる。ハワイや南太平洋のように行きたくても先立つ余裕がないと手も足も出ないのとはわけが違う。

 決定的な違いは沖縄は国内であることだ。だが、国内といっても他県とは内容が違う。その違いは沖縄の歴史、地理にある。

 歴史についていえば、お隣の中国が沖縄に大きな影響をあたえ、地理上の違いは日本というより、東南アジアに近く、食生活、風俗、生活習慣などが中国の影響を大きく受けている。

 だから、日本本土にない物を沖縄はもっているのである。

 日本でありながら、中国の影響を長く受けてきた。

 戦後はアメリカ軍が沖縄を占領し、米軍人が沖縄に駐留していることである。この二つのことで沖縄は日本国内に見られない、特異な地域となった。一つは中国の影響を残したこと。もうひとつは西欧文化である。この二つが沖縄を日本国内の他の県と違った地域文化を作り上げた。その魅力が多くの観光客をひきつけているのである。もっともよく中国文化の影響が現れているのが、首里城であ り、米国の文化をよく表しているのが、コザ市(現沖縄市)のセンター通りである。

 首里城を訪れた人はその壮大な建物に驚き、コザ市を訪れた人はセンター通りの町のつくり、店の構えに目を見張る。まるで米本土の一都市を見る思いがする。口笛を吹きながら仕上がった洗濯物を肩に歩く米兵の姿は、ここが日本とはとても思えないものであった。サンフランシスコを見たことがあるが、その店の構えはコザ市の大通りのそれであった。ここでも兵隊はわがもの顔に歩いていた。

 米兵を横目にみながら、沖縄の人(日本人)は何でもないようにふるまっていた。かつて福岡県にも米兵はいたが、至っておとなしく、いるかいないかわからない状態だった。数もすくなかった。焼け残ったビルを米軍が接収して、そこに情報局があり、新聞を届けに行くのが日課だっが、そのビルはきれいに清掃されて気持ちが良かった。

 おねえさんたち(日本人)もきれいに化粧して香水をぷんぷんさせていた。また列車も日本人の方は鈴なりで危ないと思うほどだったが、米軍の専用車はがら空きだった。これは戦に勝った方と負けた方、力(経済力)の差であった。身なりの悪い日本人、羽振りのいい米国人がそこにあった。恐らく当初、沖縄に来た中国人も米兵のように感じたであろう。背の低い地元の人達、汚い町など、初 めて見る者にとっては沖縄(日本)は未開の土地と思ったに違いない。

 戦争とは一面、文化の進出でもある。後に地元の有力紙沖縄タイムスが描いた「鉄の暴風」はそのことをいっている。台風は自然だが、鉄の暴風は人間がつくりだしたもので ある。鉄の暴風は平和に馴染んでいた沖縄の人 が直面した人間の暴風でもあったのだ。台風は天気図上で分かるが、戦争は予測できない。弱いところを研究して攻めて来る。それでも勝つためには科学と機械をつかう。最近の戦争を見るとこのことがよくわかる。(「観光とけいざい」第663号04年9月1日号)  


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